日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【思想・哲学030】理想化された理論を理想化された理論で反駁する

my日本からの転載
2013年03月17日
【覚書】理想化された理論を理想化された理論で批判する

目次

 

 

理想化された理論について

 

社会科学の理想化された理論

 

日常的によく目にする多くの政治的および経済的、社会的な理論について、そのほぼ全てが理想化されたものであると断定せざるをえない。そして理想と現実は異なる。現実とは何かという問いは難しいが、次のような理想化されたモデルを仮想的に設定したいと思う。

 

決定論的前提モデル

 

一つに決定論的前提に基づいたモデルを想定しよう。

 

私たちは過去および現在、そして未来についてどういったことが実際に起こったのか、起こっているのか、そして起こるのかを想像しうる。しかしながら、それは様々な資料などから想像した現実とは異なる想像に他ならない。

 

決定論は人々が様々に想像しうる過去および現在、そして未来は実際は一つしか存在しないという前提に基づいている。将来どういった社会になるのか既に決まっているに違いないというのが決定論である。

 

決定論の可能性・蓋然性の否定

 

決定論ではありとあらゆる可能性が否定される。決定論的前提に従えば、様々な理論や政策が実際にどのようになるのかを決定論的に示さなければならないことになるのだが、理想化された理論を支持するものは、実際にその政策が使用されたならばという仮定から入り、概ね決定論的な視点には立っておらず、未来がその理論によってどのようになるのかを具体的に示すという活動には向かわせない。

 

そして漠然とした結果のみを示すに留めておきながら、その漠然とした曖昧な結論で満足している。

 

決定論的前提モデル

 

次に非決定論的前提に立って考えるとしよう。非決定論においては様々な可能性を想定しなければならない。しかし様々な可能性を想定するという活動くらい労力を使うものもない。

 

決定論の可能性・蓋然性の探索

 

チェスや将棋のプレイヤーがたった一手を指すのに膨大な時間を費やすように、現実的な可能性を想定するという労力は、人の生において想像できる代物ではない。しかしながら理想論に従うならばそれを行わなければならない。

 

現代社会科学の諸仮説は非決定論的予測モデルを活用していない

 

政治的、経済的、社会的な様々な理想化された理論を用いるものは実質的に、非決定論的予測についても決定論的な予測についても怠惰である。あくまで理想論的な視点に立っての批判ではあるが、基本的にこれら様々な理論の使用者はこの種の予測が徹底されていないという前提を認めなければならない。

 

社会科学の前近代的な未来予測モデル

 

しかしながら、彼らは自らがそれら未来を予想しているかのような表情で、得意げにかつ誇らしげに自らの理想化された理論を宣伝して歩いている。少なからず自らの理論が現実的に未来を反映しないであろうという可能性を認めるべきであり、その可能性をいついかなる時でも示唆し続けるべきである。

 

アジテーションイデオロギープロパガンダおよび無知

 

私たちが時にアジテーションと感じ、イデオロギーに過ぎないと感じる多くの考えは、実際上は単に「無知」によって構成されているのではないかと思える。そしてこの種の「無知」は如何なる人間においても不可避である。

 

アカデミーが妄信する社会理論のアジテーションイデオロギープロパガンダ

 

この種の理論を宣伝して、この種の理論になんの誤りもないと信じて疑うことのない知識人ないしは政治家および経済人に対して、謙虚な庶民の爪の垢でも煎じて飲む必要があるだろうという価値転倒めいた皮肉は時に必要である。

 

転載:
2012.11
≪構想≫


理想主義的な政策決定に対する理想主義的前提に基づいた批判

 

現実をあるモデルに適合させようとする試み

 

理想的世界に対して現実を適合させなければならないという前提に立つならば、現実がどういったものかあるいは未来がどういったものになるのかをモデル化しなければならない。

 

一つの理想モデルはその世界を完全に作り上げることである。

 

究極的には言論によって語られるべきものではなく、五感すべてに働きかける現実的な世界を作り上げなければならない。結論から言えばそんなことは不可能であるが、あくまでも理想主義的な前提に立てば、そういったものが究極的な理想的なモデルであろうと思う。

 

現実を仮想的にモデル化するということ


そのモデル化が実際にできるのかという疑問および実際にしようと試みているのかという疑問

 

私的な世界、プライベートの保護、潜在的な世界の観察の否定および観察の困難さからモデル化は進まない

 

多くの理想主義的な政策決定に関わる論議は、人間の怠惰、限界、不安、不満などといったありとあらゆる人間性を無視し、数の世界、グラフの世界、図式的な世界によって記述されている。

 

このようなものが理想主義的な政策決定の正体であるという至極単純な視点を、私たちはまるで存在していないかのように、その自らが作り上げた単純な構想を臆面もなく得意げに語ることができる。