【政治思想010】生存戦略と政治思想
my日本からの転載
2013年03月24日
【覚書】生存戦略
彼らのいう日本とは日本ではなく彼自身である。
生き残るということは、強いものが勝ち弱いものが負けるという単純な構造にはなりえない。また生物の生存戦略は知性によっても、力によっても決して保証されるものではない。
われわれの前には常に予期せぬことが起こりえるし、それまでの行いが全て台無しにさえなりえる。それに打ち克つのは知性なのだろうか。それとも人間性なのだろうか。はっきりいえばそんなものは解らない。何が残り何が淘汰されるのかなんて本当に解りはしない。
確かに個別的に見れば、その知性の魅力や人間性の魅力など感じないわけにはいかない場面も多々あるのだが、個別的に見てもそれがどう未来に繋がっていくのか解らないし、また社会においてのその知性なり人間性なりがどのように影響していくのかも解りはしない。
具体的な例を挙げれば、アリストテレスやコペルニクス、ニュートン、ライプニッツ、ニーチェ、アインシュタインなどなど名前を挙げればきりがないが、彼らに魅力がないと言ってしまえば、それは嘘になる。
しかしながら、彼らが社会に及ぼした影響あるいは今後及ぼすだろう影響というものが良いものだったのか悪いものだったかあるいは良いものか悪いものかという判定には概ね意味はないし、もしかすると彼らの知性が人類の衰退を早めていないという確たる保証もないのである。
私は人間にとって救いというのは天国なる想像物にはなく、身近な人間との刹那的な笑いや悦びの中にあると思っているのだが、my日本の中には彼自身による力作のユートピアという名の実質的な地獄を想像し、自己の愉悦、自尊心、高揚感を獲得するために他人を貶め、蔑み、侮蔑している人間もかなり多くいる。
私ははっきりいえばそんな人物に対しては、保守かどうか、愛国者かどうかを判定する以前の段階として概ね遠ざけたい。
彼らの想像するユートピアは、今後の日本の行く末には全く関係のない話であり、耳を傾ける意味もないし、時間もないし、価値もない。それは保守かどうか、愛国者かどうか以前の問題なのであるが、私が知る限りではそういった種類の人間と関係を一切絶つというのはできないようである。
彼らのいう日本とは日本ではなく彼自身である。