日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【断片008】公共機関と個人の言語と行動

my日本からの転載
2013年03月16日
公私にわたる言語活動

 

一個人の言語活動とは確かに国全体でみれば非常に小さなことであるというのは認めざるをえない。しかしながら、逆説的に言えば非常に小さなことに対して、政府が如何に予算を注ぎ込もうとも一個人の言語活動に勝るものでもない。

 

政治的という概念について、政府における諸政策や諸活動ばかりに焦点が当てられがちではあるのだが、私はそれでも一個人の言語活動も非常に政治的であると思っている。

 

例えばの話で例はこれでなくてもいいのだが、いじめによる自殺についてニュースなどでよく焦点が当てられるが、もしかするとたった一人の言動でその場のいじめはなくなっていたかもしれない。これについて言えば、政府は全くその一個人に較べてあまりに無力である。

 

私たち一人ひとりは確かに小さな存在かもしれないが、それでも時として巨万の富を独占している政府よりもよほどに大きな存在である。

 

ここで私が言いたいのは個人個人が団結すれば良いという意味ではない。さらに言えば個人個人がしっかりと正しいことを学べば良いという意味ですらない。

 

目の前に起こっている様々な現象がどういったことかということを考えてみた場合、それはとても複雑な要素が絡んでおり、非常に厄介に思われるのも常であろうが、そういったまさに目の前にある現実に対して格闘してみせるということは社会にとって非常に重要であろう。その結末の如何はともかくとしてである。

 

わたし達は時にそういったことから目をそらすために政府を論じる傾向があるのではないだろうか。これは何も政府について論じるなという意味ではない。政府による政策論や諸活動について論じるあまりに目の前の、上記の意味合いでの私たち自身の政治的活動が疎かになっていたならば本末転倒ではないかという程度の主張である。

 

良かれ悪しかれ私たちにはそういった傾向性があるように思う。