日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【政治思想008】保守思想の不完全性

2013年03月11日
保守思想は万能薬ではない

 

目次

 

 

保守思想は万能なのか

 

何か保守思想であるならば世の中が確実によくなるかのような意見などをちらほら見るが、私は必ずしもそうは思っていない。

 

保守思想は全体主義という最悪を拒絶することに大きな意味合いがあるが、保守思想はそれ自体として、社会に対する極めて有効な政策論的仮説を提出してきたとはどうしても思えない。

 

懐疑論的視点を持つ西欧の保守思想

 

逆説的だが、もしそういった政策論的仮説を打ち出してきたとしたならば、諸手を挙げて歓迎するよりもまず怪訝な顔つきで疑ってみる方が先ではないかと見做すのがむしろ保守思想に見られる考え方ですらあると思う。

 

会話を繰り返す西欧の保守の源流

 

保守思想は個人、つまり自分自身で考えることを促す思想でもある。従ってオークショットに見られるように会話を促す。議論であるよるもずっと日常的な「会話」というものであろう。バークの『フランス革命省察』は元々手紙を目的として書かれたものである。

 

繰り返される現実の中で二度と起こらない日々が訪れ続ける

 

社会においてもそうだし、人生においてもそうだが、テレビゲームなどに見られるような全く同じ局面というものに直面するということはまずない。更に言えば自分が直面している状況というものすら正しく認識することもできないと言っても良いかもしれない。

 

私たちにとって見れば、ある意味で言えばバークリが指摘したように、「存在とは知覚されたそれである。」のであって、知覚、理解といったものを超えた認識などありえない。

 

認識された世界の中で展開される論理的思考の不完全性

 

認識を超えたものについて、私たちの思考は如何ようにも論理を用いて解決方法を導き出すことができないと言ってもいいだろう。同時に私たちの論理は認識を越えたものに対して有効な解決方法を導き出せないがために、私たちの論理それ自体が、私たちの首を締め付けるということもありえるのではないかと思う。

 

現実的な状況の中での心理的態度の不確定性

 

まさにそういった状況の中において私たちは生きているのであって、そういった状況の中で生きなければならない。これをもってそういった生に対して楽観的に当たらなければならない理由にもならないだろうし、悲観的にならざるをえないという理由にもならないだろう。

 

何故伝統的な保守派は理念よりも日常会話を重視するのか

 

それはともかくとして、保守的な思考をする人々が何故会話に重点を置くのかということについては再度考察するに値するということは思う。そして私たちがしているものが果たして会話なのかどうかということも再度検討してみるに値するだろう。

 

本源的な孤独の中で立ち現れる他者との関係

 

会話というのは時に非常に厄介なものであるというのも感じるが、そんな中でも政治的、経済的、社会的なトピックに限らず、広く、地道に会話という行為を行い、楽しんでいる人を見ると個人的に嬉しくなる。

 

ある意味で全く孤独な存在である自己がどのように他者と関わっていくのか、あるいは関わっているのかということを考えてみたときに、その人の態度や考え方が比較的明確に現れるのが、会話における作法であろうと思う。