【政治思想005】嫌韓と同義化した平成のネット保守とイギリスを源流とする近代保守思想の比較
my日本からの転載
2012年04月15日
落書き
mixiからの転載
戦後の日本にあってはこの当たりの流れにあまり重点を置かれずに、フランス革命にだけ焦点が当てられる文章が多い。
しかし当時の周辺諸国において必ずしもフランス革命が歓迎されていなかったという事実を抜きに、自由だ、平等だ、博愛だと声高に叫ぶことは極東のアジア人らしい滑稽な態度にも見えるが、そろそろそういった態度に固執することに疑いの目を向けても良いように思う。
目次
- 保守主義・ネット右翼・ネトウヨという概念
- 解釈に基づく浮上する自己都合的な日本の容貌
- 日本という名の保守派彼自身の思想・理想/嫌韓流と保守の同義化
- 反特定国家としての保守論
- 理想化・ステレオタイプ化された日本像
- 保守派から黙殺され続ける近代保守の系譜
- 近代保守について説明できない保守派の実態
- 近代保守を捨象した保守は保守と呼ぶべきなのか
- エドマンド・バークを源流とするイギリス保守派について語られないということ
- バークの美学・騎士道・独立戦争・インド圧政・旧教と新教・フランス革命
- 如何なる思想も保守と銘打たれる可能性について
- バークの平衡論とニーチェの善悪の彼岸
- バーク流の修辞技法なき戦後日本の保守主義
- 名誉革命とオールド・ウィッグ
- オールド・ウィッグとニュー・ウィッグ
- エドマンド・バーク対チャールズ・フォックス
- イギリス流の二大政党制の系譜
- 国王弑逆政府を生んだフランス
- 革命を生み出したフランスと革命について議論を怠らなかったイギリス
- 極東の一角にある国の革命論について
my日本での発言は結構躊躇いを覚える。
皆様知的すぎていつもついていけません。
誤謬に対する指摘や、思想的批判は歓迎します。
文法的におかしいところはあると思います。
結構適当に書いてますので。
※
保守主義・ネット右翼・ネトウヨという概念
保守主義と一般的に言われる概念に対して、現代日本の保守主義に対する解釈は、一般的にネット右翼という言葉の使用に見られるような解釈が主流であると言えるだろう。
ネット右翼、あるいはネトウヨと呼ばれる概念は、単純に言ってしまえば、ネット上において活発化される国家主義的、排外主義的な活動と見られている。
解釈に基づく浮上する自己都合的な日本の容貌
概ね必ずしもこういった捉え方は間違っているとは言い難い部分がある。
日本が単に日本であるという理由によって肯定的に扱われ、反日本的なもの、日本的な考えに敵対する考えに反発するという意味で言えば確かに概ね間違っていない。
しかし、私たちが日本とはこういったものであるとか、こういったものであるべきといった解釈論においては、その日本の実態や理想形は必ずしもきちんと提示されていないし、そういった意味で、そこにある意味は複合的な意味というよりは、確かに自己都合的な日本であるといえる部分はある。
日本という名の保守派彼自身の思想・理想/嫌韓流と保守の同義化
そこにあるのはなんであろうか。日本であろうか。日本と名付けた彼自身、あるいは彼自身の思想ではないか。特に近年において、嫌韓流という言葉が出まわっており、この嫌韓流なるものと保守主義が同義化している。
反特定国家としての保守論
あるいは反中国、反アメリカ、反ロシア的な態度等々がそのまま保守主義と見做されつつあるのではないかという危惧を覚えずにはおれない。
個人的な見解として思うことは、何らかの意味で反共産主義、反漢民族、反朝鮮民族、反ロシア、反アメリカ、反アジア、反コーカソイド等々が部分的に保守主義解釈に絡んでいるように見える。
理想化・ステレオタイプ化された日本像
そこには理想化された日本があり、そこには理想化、観念化された外国が存在しているのである。確かに日本的なものと解釈される多くの現象や慣習に対して、私自身も誇りを覚えもする。しかしそれと同時に一定の懐疑も保たざるをえない。
また理想化された、観念化された諸外国あるいは諸外国人に対して、ステレオタイプな解釈として、批判的見解も持ちあわせてもいる。そしてそれと同時にこの批判的見解にも一定の懐疑を保たざるをえないとも思っている。
保守派から黙殺され続ける近代保守の系譜
私たちは簡単に保守主義という言葉を使うが、日本人が使う意味での保守主義には、必ずしも近代保守主義の意味合いが盛り込まれているとは言い難いように見える。
仮にそれでもいいとしても、保守主義という概念には近代保守主義、近代保守思想の解釈が盛り込まれるべきであると私は考えている。
少なくとももし保守主義を近代保守主義ないしは近代保守思想と違った意味合いで用いるのであれば、その差異を明らかにしなければならないはずであろう。
しかし近年の日本の保守主義という言葉の使用において、近代保守主義に対する解釈が希薄である。
そして独り歩きした保守主義という概念が、非常に単純に国家主義、排外主義と結びつき、他国を批判していれば保守主義である、愛国者であるという図式を構築させる。
近代保守について説明できない保守派の実態
はっきり言ってしまえば、案外に近代保守主義とは何かという問いに対して、日本人として回答をすることは難しい部分がある。それはアカデミックな研究として近年必ずしも活発に研究されてきたとは言い難く、庶民レベルで言えば、表面的な近代保守主義解釈しかできないと構えざるを得ない。
比較的日本人でありながら、簡単に近代保守主義に近づく方法はエドマンド・バーク解釈から入ることであろう。
理由は単純に、近代保守主義の源流と見做されている人物の中で、彼の思想がもっともよく輸入されているからである。
そして私の知りうる範囲で言えば、彼の思想の影響が近代保守主義において重要な位置に置かれているというのは凡そ間違いではないようだからである。
近代保守を捨象した保守は保守と呼ぶべきなのか
話を戻すが、この近代保守主義を排除した保守主義というものを保守主義と呼ぶべきかどうかという問題が存在する。
また近代保守主義を無視した保守主義批判は、保守主義批判と言えるのかどうかも怪しいところがある。
言い換えると近代保守主義を無視した、排外主義的なネットで活発化している保守主義者とその批判者の争いは、厳密に言えば保守主義と別の所の論争なのではないかと思えなくもない。
エドマンド・バークを源流とするイギリス保守派について語られないということ
エドマンド・バーク解釈は、現時点の日本においても難しいところがある。日本人として当時のイギリス連邦の空気というのは、実際に生では感じられないし、それなりに当時のイギリス連邦を学術的に体系的に理解するのもそれなりに労力を要する。
しかし、もし保守主義という言葉を口にするのであれば、バークを研究し、かつその当時のイギリスをある程度研究することは避けがたいだろう。
私自身もこのあたりのことは実際に詳しいとは言えないので他人のことを批判できない。そういった意味で私は保守主義に共感するとは言い得ても、私は保守主義者であるとは大口を叩くわけにはいかないのかもしれない。
またそれとは逆に同じ理由から単純に保守主義を批判することも憚るところがあるというのも実感である。
バークの美学・騎士道・独立戦争・インド圧政・旧教と新教・フランス革命
私の個人的な実感として、バークについて論じるにあたり、美学、騎士道、アメリカ独立戦争、インド統治、イギリス国教会とカトリック教会、フランス革命などについてある程度の知識を要するように思う。
また当然にバーク解釈の歴史や研究についても詳しく論じる必要があるだろう。
一言付け加えればこの辺りは専門家レベルでなければ研究できない部分がある。
ただし単にいつ現れるのかも解らないバーク研究を黙って待っているという訳にもいかないような感覚も覚える。
如何なる思想も保守と銘打たれる可能性について
また近代保守主義研究を黙って見ている訳にもいかないのではあるが、それでもだからといって保守主義という概念を乱用し、何でもかんでも保守主義と銘打つわけにはいかない。
それは先程も述べたように、単に排外主義の形をとっているかもしれないし、また単に日本という概念と、曖昧な日本解釈を肯定するだけの概念に利用されているだけかもしれない。
私たちがいう日本の国柄を守れという要請は必ずしも明快なものではないし、単純な印象としての日本、心地よく思える日本を賞賛しているだけかもしれない。
しかし私たちが感じる日本はこういった部分が素晴らしいといった感覚に反して、その素晴らしいと思える部分を余りにも肯定的に捉えすぎているが故に、深刻な停滞を、更には深刻な衰退を助長しているかもしれないという疑いを完全に拭い去ることができない。
バークの平衡論とニーチェの善悪の彼岸
さて、部分的に幾つか私が考えていることを述べるが、例えばバークは善と善、善と悪、悪と悪の平衡という考えを提出している。実際は同一的な概念ではないが、バークのこのような考え方はニーチェの「善悪の彼岸」と通じるところがあると個人的には思う。
またバーク思想は、一般的な哲学とは異なり、非常に政治的であり実践的である。知識が細分化し、その諸知識が諸個人が専門的に扱うことによって、諸知識の統合という作業が怠りがちな現代に対して、非常に示唆的思想である。
確かに哲学として捉えた場合、体系的に捉えがたいし、実践的であるがゆえに論理が矛盾しているように感じられるところもあるだろう。
またポストモダン思想の中で解体された価値体系の中にあり、古臭い、場合によってはある種のルサンチマンであるように感じられる部分もあるだろう。
しかしそれと同時に非常に哲学的にも感じられ、また非常に一貫しているようにも感じられる。またポストモダンに見られる価値への懐疑に対する懐疑という姿も浮かび上がっているように感じる。
バーク流の修辞技法なき戦後日本の保守主義
私は残念ながらバークが雄弁に語ったように保守主義を捉えた言論を我が国日本において見たことは全くといってよいほどないのである。
このような軽薄な思想空間の中で語られる保守主義など見るに耐えないのであり、そういった意味でも日本的保守主義には希望をもつにいたらない。
それは保守主義に対しても言えることだが、同時に保守主義批判にも満足できないという意味でもある。
肥大化したルサンチマンの衝突を見せつけられることは、娯楽として傍観するのであればそれはそれで愉快かもしれないが、国内の言論活動として、そういったものばかりを見せつけられるのは単純に不快であると見限れるものではないというのが人情ではなかろうか。
おそらく保守主義を捉える時、宗教論なども絡めないわけにはいかないだろう。
この宗教がある意味で凋落した時代において、深刻なニヒリズムの時代において保守思想を真剣に考えることは相当に難しいのではないかというのが凡その実感である。
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名誉革命とオールド・ウィッグ
近代保守主義の源流と目されてるバークの思想あるいは一般的に言われるところのオールド・ウィッグに大きな影響を与えている出来事に『名誉革命』が挙げられるだろう。名誉革命についての考察は今後していきたい。
オールド・ウィッグとニュー・ウィッグ
また、オールド・ウィッグと対比してニュー・ウィッグというものも存在している。
知らない人のために知っている範囲で軽く説明するならば、オールド・ウィッグとニュー・ウィッグという概念はオールド・ウィッグ側から普通にこのように認識されている。
はじめにどちらが使い出したかについては私には解らない。
これはフランス革命が起こった時に、ウィッグ党がそのフランス革命を応援する側と敵対する側に分かれたのであるが、この時フランス革命を応援する側をニュー・ウィッグ、敵対する側をオールド・ウィッグと呼ぶようになったようである。
エドマンド・バーク対チャールズ・フォックス
オールド・ウィッグの代表がバークであるのに対して、ニュー・ウィッグの代表者がチャールズ・フォックスである。
あまり詳しくないが、これ以降、ウィッグ党とトーリー党は分裂、吸収を繰り返し、最終的に自由党と保守党という今日知られている形に収まることになる。
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イギリスの首相
ポートランド公(1783) W
少ピット(1783-1801) T
アディントン(1801-1804) T
少ピット(1804-1806) T
W・グレンヴィル(1806-1807) W
ポートランド公(1807-1809) T
フランス革命以降、ウィリアム・グレンヴィルもポートランド公もフォックスと敵対しているようである。
ウィリアム・グレンヴィルは奴隷貿易を禁止した時の首相で、この当たりを詳しく知ることは難しいかもしれないが、個人的に印象的である。
イギリスにおける奴隷貿易の考え方が個人的に気になっている。バークの思想は、カトリック信仰に対する寛容、アメリカ独立戦争、インド圧政に対する批判、フランス革命批判と並ぶが、奴隷貿易に対するバークの評価などは流石に知り難いので、グレンヴィルの奴隷貿易禁止は個人的には印象的なのである。
ちなみに現在のイギリスの政党は以下のとおりである。
全国政党
与党 保守党 - 自由民主党
野党 労働党 - イギリス独立党 - イギリス国民党 - リスペクト
地域政党
北アイルランド
アルスター統一党 - 民主統一党 - シン・フェイン党
北アイルランド同盟党 - 社会民主労働党 - 進歩統一党
その他のカントリー
スコットランド国民党 - プライド・カムリ(ウェールズ党)
イングランド・ウェールズ緑の党
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イギリス流の二大政党制の系譜
今日の日本における二大政党制はイギリスをモデルにしているのであろうが、恐らく実態としてはアメリカの民主党と共和党の対立に近いように思う。
今日のイギリスの保守党の考え方など私は詳しくないが、少なくとも当初のイギリス保守党には国体護持、君主制を神聖視するという見方が強かったようである。
ウィッグ党、それから発展した自由党においてもフランスに見られるような君主制打倒という色合いはそれほど濃くなかったようにも思う。どちらにせよ、イギリスにおけるフランス革命の影響というのは計り知れないだろう。
国王弑逆政府を生んだフランス
少なくとも国王がギロチンにかけられるということに対する警戒、反発、恐怖の心理が、実際にそれを行ったフランスを間接的に眺めることによって議論の対象となったわけであろう。
フランスにおいてはフランス自身が当事者であったがゆえに、そういったことを熟慮する場がなかったというのは言えそうである。
国王及び王妃が断頭台において首を掻き切られようとしている時、観衆は恐らく自らがそのようなことをすることに少なからず不安や恐怖、罪悪感を覚えていたに違いない。
しかしその不安や恐怖、罪悪感は、熱狂と喝采によって掻き消されていったであろうことは推測するに難しくない。そして少なくとも後発国は、その観衆の心理さえも強く心にとどめたに違いない。
革命を生み出したフランスと革命について議論を怠らなかったイギリス
良し悪しについては論じるべきではないかもしれないが、当事者であったフランスとその傍観者、最も近くにいる隣人であったイギリスという決定的な違いが両者の政治形態を大きく隔てたという印象は強くもつ。
極東の一角にある国の革命論について
戦後の日本にあってはこの当たりの流れにあまり重点を置かれずに、フランス革命にだけ焦点が当てられる文章が多い。
しかし当時の周辺諸国において必ずしもフランス革命が歓迎されていなかったという事実を抜きに、自由だ、平等だ、博愛だと声高に叫ぶことは極東のアジア人らしい滑稽な態度にも見えるが、そろそろそういった態度に固執することに疑いの目を向けても良いように思う。
現にネットにおける保守派の人間が何の臆面もなく人権を叫ぶ姿を見るに当たって、随分と進歩的な考えですねと皮肉を込めて言いたい気分にもなるのである。
単純にいって人権という思想を信じていなければ野蛮であり、また人権という思想を信じていれば野蛮を免れ得ると考えることは私には随分と早計に思えるのである。
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考察が必要だと思われる人物および著作
リチャード・プライス
メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』
バークのフランス革命批判に対する反論というよりは、フェミニズム論なのだろう
トマス・ペイン『人間の権利』
トマス・ペインの『人間の権利』ははっきりとしたバーク批判である