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【歴史007】フォックスのインド法案についての演説⑦

my日本からの転載
2012年06月30日
【第7回】フォックスのインド法案についての演説

ただの一人の土地所有者、ただの一人の銀行家、ただの一人の商人、否、通常は惨害のさなかに一番最後に滅亡するはずの「最後に死す者」たる租税請負人さえその例外ではなかった。

                  エドマンド・バーク

 

【61】


話はまた東インド会社に従属している諸民族に対する彼らの態度について語りだす。東インド会社に従属した民族の中で最も著名な人物の一人はアウドの太守アサフ・アッダウラであろう。

 

【62】


アサフ・アッダウラは1779年にブリテン総督代理に対して、アウド内に駐屯しているインド会社軍があまりにも多すぎるため、協定に基いて撤退して欲しい旨を訴える。このインド会社軍のアウド駐屯が、アウド財政を圧迫し、アウドは疲弊する。

 

アウドは国土と耕作の遺棄を余儀なくされ、徴税請負人に対して減免を図ったが、それでもなお財政は苦しいという。財源が窮乏してきたため、太守自身もその家族も、また彼の従者も窮乏していると訴える。

 

また、「新しく派遣された旅団は私の統治に全く不必要であるのみならず、収入と関税の両面で著しい損失の原因である。ヨーロッパ人士官の指揮下の分遣部隊に至っては、私の統治の執行を混乱させるだけで、彼ら自身が主人のように振舞っている。」と加える。これについては東インド会社の代理総督ミドルトンでさえそれを認め、苦言を呈している。

 

【64】


バークはこれに対して、ベンガル総督およびその評議会は、長きにわたるインド民衆になんの救済策も対応策も取っていないと批判する。

 

ミドルトンの陳情に対して、ヘースティングズは「この要求、この言葉の口調、そしてそれが述べられた時期に鑑みて、それはすべて容易ならぬ事態を裏づけ、これの拒否のためには本評議会のこの上なく断固たる態度が必要である。」と応じる。

 

この反応に対して、このような態度は如何なる人間であっても断じて正当化されるものではないと論難する。更に加えてヘースティングズは救済策は漸次的に適用されるべきであるが、それは効果が期待できないと暗に述べている。

 

【65】


ヘースティングズは、アウドの要求に対して「無条件かつ絶対的な拒絶」を突きつけ、東インド会社とアウドの分離を画策する扇動家に対しては処罰を辞さないと応じる。

 

アウドの惨状に対する訴えが、まるでこの世で最も取るに足らない訴えであるかのように片付けられたとバークは言う。結果的に軍隊はそのまま駐留し、なんの救済策も建てられぬままに、アウドの地は破滅していった。

 

【66】


その二年後に、ヘースティングズは翻って軍の駐留による苦痛を取り除く必要性を唱えたが、それは余りにも遅く、かつそれによって結ばれた新しい協定は、従来通り侵犯される。

 

アウド側は東インド会社の期待に反する人事を行っているとヘースティングズは考えた。アウドはザミンダールたちの反発を招き、彼らは独立を勝ち取っていく。

 

これに対してアウドはついには何の対策も講じられないようになっていった。それゆえに東インド会社は再度軍を派遣し、アウドは東インド会社に更に債務を負う結果となっていった。

 

【67】


ヘースティングズはその地域で進行している出来事を早期に予見していると自ら語っている、とバークは強調する。

 

【68】


東インド会社は自分たちの加勢がなければその地位を保てないだろう評判の悪い王侯を見出し、さらに東インド会社の手先として国民の憎悪をかきたてる。

 

そしてこのような対立図式を前に気前よく軍隊を派遣し、彼がいつでも軍隊を借りられるように文官を常駐させる。

 

さらに軍隊の給与を口実に収入を手にし、文官の用心深い管理のもと債務を蓄積させ、この債務を利用して新しい譲渡が決定される。そして最終的にはその収入の全体と国土の全権を手中に収めるのだ、とバークは見ている。

 

さらに軍隊の方でも無報酬で働くことに我慢できなくなり、軍事上の指揮権はやがて徴税請負人の役目に変わっていく。高給を食む民生担当官と獲物を獲得する軍人によって原住民の境遇は想像するに難しくない。

 

このような過程の中で正規の統治者は権力を消滅させ、無秩序と暴力だけが蔓延るようになってしまう。そうなればその無秩序と暴力は別の暴力によって鎮圧されていく。

 

その結果、民衆は国土から流出するに至るが、国境はこうして敵軍の排除ではなく、住民の逃亡阻止のために働くようになる。

 

これがバークの見た東インド会社のインド統治なのである。

 

【69】


これによって4、5年の間で状況は大きく変貌してしまった。ベンガルの報告によると、かつては300万ポンドの収入があったのに、130万ポンドまでに低落してしまう。かつその収入の残額はベナレスの高利貸しの手に引き渡され、年30%もの利子で抵当に入れられるに至るのである。

 

【70】


収入が減少するに及んで、高位な人物の財産を差し押さえ、やがては没収していく。イングランドウェールズを合わせた国土をもつ属州アウドにおいて地位に応じて財産の没収を免れた人間は文字通り誰一人いなかったとバークは断言する。

 

ただの一人の土地所有者、ただの一人の銀行家、ただの一人の商人、否、通常は惨害のさなかに一番最後に滅亡するはずの「最後に死す者」たる租税請負人さえその例外ではなかった。