日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【歴史005】フォックスのインド法案についての演説⑤

my日本からの転載
2012年06月26日
【第5回】フォックスのインド法案についての演説

 


【41】


アラハバード条約の締結に際して、東インド会社はムガル皇帝との間に毎年26万ポンドを支払うことを約束したが、この取決めは破棄され皇帝に対してびた一文払われることはなかったとバークは言う。

 

また皇帝との間で年額40万ポンドをベンガル太守に支払うことを約束したが、これも破棄された。またブリテン側に味方した傭兵隊長ナジャフ・ハーンに対する功労に報いる年金の支払いも反故にしている。

 

またハイデラバード王国のアリ・ハーン(ニザム(藩王国の君主))、マイソール王国の統治者ハイダル・アリとの協約も破棄している。

 

マラータ同盟との間でも、民族の全体会議、個々の首長との間で相互に入り組んだ協定を結んでいる。具体的にどういったものか解らないが、バークによる説明からみるに非常に興味深く思う。

 

これらの取り決めのどれかを順守するならば残りの全部を失効するほど悪名高いものであった。これらの数々の協定の条項が守られたならば、ブリテンの二つの軍隊が全く同じ時期に同じ戦場で、互いに相手の咽喉笛を掻き切る結果さえ生じたことであろう。

 

恐らく個々の首長に対して戦闘時の救援をを約束することによって、実際にその両者が争うことになったならばその両者を救援しなければならないということではないかと思う。これは後のイスラエルの問題と類似しているようにも思う。

 

東インド会社は平和的な状況のもと、マラータ同盟の領域に侵攻してサルセットの島(インド西岸にある島)と要塞を強襲する。

 

マラータ同盟はこれにより1776年プランダル条約の締結を余儀なくされる。

 

しかしさらに東インド会社はマラータ領域に侵攻し、東インド会社軍の降伏を持って1779年ワラガオンの協約を結ぶ。

 

これに対して、マラータ側は報復の念を抑えて、寛大かつ穏便な条件を提示し、また捕虜の処遇も人道的だったとバークは言う。しかし東インド会社がそれに感銘を受ける結果には繋がらなかったとも加える。

 

戦争は更に苛烈を極めたが、1780年マイソール王国のハイダル・アリがハイデラバード王国と連携してカーナティックに侵入しアルコットを占領、マドラスまで迫ってきたためマラータ同盟と講話するに至った(第2次マイソール戦争)。

 

結果的に東インド会社は辛うじてこの難局を退けるが、「事実われわれは他のいかなる国家からも信頼が寄せられていない、全人類にとって不倶戴天の敵に他ならなかった」とバークは表現している。

 

【42】


これらの戦争と講和に際して、どちら側の自己の役割を弁護されうるかではなく、どちら側に背信の責任があり、罪過を引き受けるべきかという議論が展開される。

 

その中には東インド会社の弁護論者は、東インド会社の功績ゆえに、彼らのすべての手続きは帳消しにするに十分であるとする考えがあり、この考えをもとに成立したもの、それが最近結ばれたサルバイ条約であるとバークは主張する。

 

【43】


サルバイ条約によって東インド会社はマラータ戦争およびプランダル条約によって獲得した地域を返還した。しかしこの協約の精神およびその裏にあったものに対してバークは不信感で見つめる。

 

【44】

マラータ同盟との講和が全面的な平和に繋がればよいというのが、ほとんどすべてのイギリス人の念願であった。……ヘースティングズ氏はこの全国民の合理的な欲求に或る程度まで黙従する素振りを示さざるを得なかった。

 

ヘースティングズはマラータ同盟との間の条約にマイソールのハイダル・アリを関与させる条項を盛込むことによってマラータ側を満足させようと考えた。しかしヘースティングズはその条項の中に曖昧な1条項を盛り込むことを望んだ。

 

【45】


この条項が挿入されるとマイソールの対応を待たずに、マラータ同盟の首領シンディアとの間にマラータの領土を三つに分割するための交渉をはじめる。

 

一つはシンディアに、一つは宰相(ペシワー)に、もう一つは東インド会社の御用商人ムハマド・アリに与えることを提案する。

 

【46】


この陰謀が進展する中でマイソールのハイダル・アリが死亡する。彼の息子ティプー・スルタンがこの条項に賛成するか反対するかを決める前に、正式に締結されてしまう。

 

【47】


これに乗じて、以前に東インド会社のマシューズ将軍がマイソールから得たベドヌールを、三つの分割領土のうちに盛り込まれるはずであったにも関わらず、これを東インド会社の領土にするように指示する。

 

【48】


この変更の理由はこの土地が協定とは関係のない事案によって東インド会社が獲得した領地であるためとする。マシューズ将軍が分割案とは相容れない条項に基いて獲得したものであるというのを第2の理由としてあげる。

 

マシューズ将軍が行った取り決めはマラータ陣営に、彼らが自分のこの新たな同盟者に寄せる信頼がどれほど頼りないものかを改めて極めて明瞭に痛感させた。

 

他方でこの取り決めがたちまち反故にされたためにインドの民衆は、自分たちがこの会社を相手にどんな条件で協定を結んでも、新規の征服が計画されるとそれが何の保証にもならない事実を思い知らされた。

 

【49】


次にバークは、東インド会社の盟友である、


①ラグナート・ラオ(マラータ同盟の前宰相)
②ファテ・シンフ(グジャラート(インド西岸の地域)のガイクワル(王侯))
③チャタル・シンフ(ゴフド(インド内陸)のラーナ)


東インド会社がどのような配慮を払ったかについて説明する。

 

【50】


ラグナート・ラオとはマラータ同盟の前宰相(ペシワー)で、第1次マラータ戦争の原因を作った人物でもある。

 

マラータ同盟の宰相マーダヴ・ラオの死後、その弟であるナーラーヤン・ラオがその地位についたが、彼の叔父にあたるラグナート・ラオによって殺された。

 

ラグナート・ラオは宰相の地位につくものの、宰相府はこれを認めずナーラーヤン・ラオの息子のマーダヴ・ラオ・ナーラーヤンを宰相にする。これによりラグナート・ラオはイギリスに救援を求めたが、結果はマラータ側の勝利で終わる。

 

ラグナート・ラオはマラータに引き渡されたが、国民の敵意と彼の犯罪への糾弾にも関わらず身の安全を約束された。

 

しかし、だからといって国民の敵意も彼の犯罪も消えるわけではなく、恐らく彼は不安を感じていたにちがいない。

 

身に危険を感じラグナート・ラオがハイダル・アリなどの有力に頼って亡命するのではないかと思われたために、東インド会社のアンダソンは彼の不安を取り除くために伝言を送り、ラグナート・ラオの仇敵であるシンディアに信書を送らせて彼の不安を取り払うようにした。