【歴史年表001】エドマンド・バークとインド問題
my日本からの転載
2012年06月23日
【年表】エドマンド・バークとインド問題
【年表】
1623 アンボイナ事件
1640 イギリス東インド会社、マドラス(チェンナイ)にセント・ジョージ要塞を建設
1661 イギリス、ポルトガルよりボンベイ(ムンバイ)を移譲される
1668 イギリス東インド会社、ボンベイを借受
1687 ムガル帝国、デカン高原を制圧し最大版図となる
18世紀
1702 イギリス東インド会社、カルカッタ(コルカタ)にウィリアム砦を建設
1707 ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブ没
1711 ヒューム生まれる
1723 アダム・スミス生まれる
1724 ムガル帝国よりハイデラバード王国が独立
1729 バーク生まれる
1732 ヘースティングズ生まれる
1739 ヒューム『人性論』(~40)
1744 第1次カーナティック戦争(~48)
1749 フォックス生まれる
1750 第2カーナティック戦争(~54)
1753 メーストル生まれる
1756 七年戦争(~63)
ムガル帝国ベンガル総督、カルカッタを占領
1757 バーク『崇高と美の観念の起源』
プラッシーの戦い イギリス東インド会社、カルカッタ奪還
ベンガル地方の支配権を確立
1758 ヒューム『人間悟性論』
第3次カーナティック戦争(~63)
1759 アダム・スミス『道徳感情論』
1763 パリ条約 イギリス、カーナティック支配を確立
1765 バーク、下院議員となる
1766 ハイデラバード王国、イギリス東インド会社と友好条約を結ぶ
1767 第1次マイソール戦争(~69)
1773 ヘースティングズ、初代ベンガル総督に就任
1774 ロヒラ戦争
1774 バーク『アメリカへの課税についての演説』
1775 アメリカ独立戦争(~83)
バーク『植民地との和解決議の提案についての演説』
第1次マラータ戦争
1776 アダム・スミス『国富論』
ヒューム没
1780 第2次マイソール戦争(~84)
1783 バーク『フォックスのインド法案についての演説』
1785 ヘースティングズ、ベンガル総督退官
1787 ヘースティングズ、イギリス上院で不正行為を弾劾される
1789 バスティーユ襲撃(7月14日) フランス革命勃発
1790 バーク『フランス革命の省察』
第3次マイソール戦争(~92)
アダム・スミス没
1791 バーク『新ウィッグから旧ウィッグへの上訴』
1794 フランス、奴隷制度廃止
テルミドールのクーデター
1796 メーストル『フランスについての考察』
バーク『国王弑逆の総裁政府との講和』
1797 バーク没
ヘースティングズ、無罪決定
1799 第4次マイソール戦争 マイソール、イギリスの支配下に入る
ブリュメールのクーデター
19世紀
1801 アワドの太守、ロヒルカンド全域をイギリス東インド会社に割譲
1803 第2次マラータ戦争
1804 フランス第一帝政(~14)
1805 トックヴィル生まれる
1806 フォックス没
1807 イギリス議会、奴隷貿易法成立 奴隷貿易が廃止される
1814 ブルボン第一復古王政(~15)
ヘースティングズ、枢密院議員となる
1815 ブルボン第二復古王政(~30)
1817 第3次マラータ戦争(~18)
1818 ヘースティングズ没
マラータ同盟滅亡
1821 メーストル『ペテルブルグ夜話』
メーストル没
1824 第1次ビルマ戦争(~26)
1830 七月王政(~48)
1833 イギリス議会、奴隷制度廃止法成立
1835 トックヴィル『アメリカにおける民主主義』(~40)
1840 アヘン戦争(~42)
1845 第1次シク戦争(~46)
1848 フランス第二共和政(~52)
第2次シク戦争(~49)
1879 シク王国滅亡
1852 フランス第二帝政(~70)
第2次ビルマ戦争
1854 日米和親条約
1856 イギリス総督ダルフージ伯、アワド併合 アワド王国滅亡
アロー戦争(~60)
トックヴィル『旧体制と革命』
1857 インド大反乱(セポイの反乱)(~59)
1858 ムガル帝国滅亡
イギリス東インド会社解散、インド統治権をビクトリア女王に献じる
1859 トックヴィル没
1861 アメリカ南北戦争(~65)
1863 アメリカ、奴隷解放宣言
1867 大政奉還
1868 戊辰戦争(~69)
1870 フランス第三共和政(~1940)
1877 イギリス領インド帝国(~1947)