日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【歴史002】フォックスのインド法案についての演説②

my日本からの転載
2012年06月25日
【第2回】フォックスのインド法案についての演説

これらがすべて究極的には何らかの形において彼ら民衆の利益のために行使されるべきである。

                      エドマンド・バーク

 

 

【11】

 


勅許状の中には単にその本性がこれと全く異質であるのみならず、この大憲章なる勅許状の原理と真向から背馳する原理にもとづく勅許状も実際に存在する。そして東インド会社の勅許状は、まさしくこの種類のものである。

 

バークによると、マグナカルタとは、権力を抑制し独占を破壊する勅許状であるのに対し、東インド会社の勅許状は、独占を確立して権力を創出するものである、ということである。

 

それ故に、東インド会社の勅許状は人間の基本的権利などではなく、それを「勅許状にもとづく人間の権利」と呼ぶのは詭弁であると断じる。

 

彼らの権利というのは、自然的権利の停止であり、諸権利への直接的な侵害へ転化する恐れのあるものであると警告する。

 

【12】


バークは、この権力と独占の勅許状を、この法案によって根本的かつ実質的に矯正できると主張する。

 

【13】


バーク自身、東インド会社の通商の独占的権利、資産の運用、兵士の指揮権、3000万人にも及ぶインドの現地住民の生命財産の管理、これら諸権利を議会法に基いて保有することを認めている。

 


当時、イギリス東インド会社が権益を持っている地域はボンベイ周辺(インド西海岸にある都市)やマドラス(インド東海岸にある都市)周辺の他にフランスから手に入れたカーナティック地域(インド東海岸にある地域)、カルカッタのあるベンガル地方西ベンガルや今のバングラディッシュあたりの地域)、ビハール(ベンガル地方の北西に隣接する地域)、オリッサ(ベンガル地方の南西に隣接する地域)といったインド東部と、インド北部(今のウッタル・プラデーシュ州あたりの地域)であると思う。特に1757年のプラッシーの戦いに勝利して以降大幅に支配地を拡大している。

 

そして既にこの時点でイギリス東インド会社は、南インドデカン高原を支配するマラータ同盟、インド南部のマイソール王国と交戦状態にある。

 

【14】


このような承認は、東インド会社の権利や権益を最大限に主張する人間であってもこれ以上は言い張らないであろうと前置きした上で、これら人為的な特権を認めた以上は、「これらがすべて究極的には何らかの形において彼ら民衆の利益のために行使されるべきである」と主張する。

 

【15】


東インド会社が与えられている権利や特権は、イギリス議会による信託であり、彼らは本質的要件として報告責任の義務を負わなければならず、万が一、当初の合法的なものと保証するものである目的を大幅に逸脱したならば、これら権利や特権は停止されるべきであると主張する。

 

【16】


東インド会社は誰に対して報告する義務を負うのかとバークは問う。紛れもなくそれはイギリス議会であると言う。彼ら東インド会社の信託はイギリス議会から引き出されたものであり、その目的を理解し、乱用されていないか注視し、立法によって有効な救済策を講じることができるのはイギリス議会なのだという。

 

この崇高な信託の違反を矯正する権限を、議会の手から奪うために勅許状を振りかざすのは言語道断である。東インド会社が勅許状によって目的を歪曲し、悪政と暴力の道具として勅許状を変質させるならば、イギリス議会にはそこに介入する権利と義務があるのだという。

 

【17】


議会が、エピクロス派のように無関心を決め込んで悪政に対して指を加えて座視するのであれば、議会こそがその悪政の共犯者になるというのがものの理屈であるという。イギリス議会には害悪の原因を取り除き、矯正する義務があるというのがバークの主張である。

 


エピクロス主義


エピクロスの哲学をさすが、一般的にはそれを誤解して享楽主義の意に用いられる。エピクロスの快楽主義は、感覚的快を退けて簡素な生活のなかに魂の平静を求めるものであった。

 

原子論を基礎とする彼の広大な体系は、この倫理的生の実践を原点としており、その理想は彼の開いた庭園学派のなかに継承され、彼は神のごとき崇拝を集めた。

 

学派の主要人物にはヘルマルコス、メトロドロス、ポリュストラトスらがいるが、この学派は各地に広がり、ラテン世界では『物の本性について』の著者ルクレティウスを出し、2世紀頃まで勢力を誇った。

 

近世ではガッサンディエピクロス哲学を復興、それはロックを通してイギリス経験論と結びついた。

 

【18】


反対派は金銭的な利益のために何百万という人間の血を売ったと誤解されかねない。それを今こそ晴らさなければならないという。議会はイギリス東インド会社を管理する権利を売り渡してはいない。イギリス議会は今こそ義務を果たすべきだと主張する。

 

【19】


イギリス議会こそが、本源的な信託に基づくものであり、イギリス東インド会社における信託はその派生的信託であるという。イギリス東インド会社の悪政が立証されるならば、イギリス議会によるイギリス東インド会社への信託は破棄されることになる。

 

バークは、権力が乱用され、圧制、独裁、腐敗の限りを尽くして行使された勅許状は廃絶されなければならない、そして本来的なマグナカルタにみられるような人権への真の勅許状によって保証し、それを世に示すべきであるという。

 

【20】

 

本法案およびこれと関連する諸法案は、インドのマグナカルタを制定する意図の現れである。

 

ウェストファリア条約によって神聖ローマ帝国が、諸侯や自由諸都市の自由、そして三つの宗教に与えた保証、またマグナカルタ、貢租制限法、権利請願、権利宣言が大ブリテンに与えたのと同じ恩恵をインドの民衆に与える必要があると説く。

 

そしてインドの民衆は積極的に自らこれを受け入れるであろうというのである。

 


ウェストファリア条約


1648年調印の三十年戦争終結の条約。1645年からドイツのウェストファーレンで開かれた講和会議でフランス、スウェーデンは領土拡大とともに、神聖ローマ帝国議会への参加権を獲得して国際的立場を強化、逆にハプスブルグ家は勢力を後退させた。

 

ドイツ諸侯は完全な領土主権を認められ、神聖ローマ帝国内の分立主義が決定的になった。またアウクスブルグの宗教和議の原則がカルヴァン派にも拡大。オランダとスイスの独立が正式に認められた。

 


バークのいう三つの宗教というのはカトリックルター派カルヴァン派のこと。ルター派は1555年のアウクスブルグの和議で既に認められている。

 

わざわざこの点を引き合いに出しているのは、イギリスにおけるイギリス国教会カトリックの対立を示唆したいという狙いもあるのではないかと思う。

 

アイルランドのダブリン出身であるバークは、父親がプロテスタント系の国教会の信者であるが、母親はカトリック信者である。このような家庭環境にあったバークにとってイギリスにおける宗教的な対立は複雑な感情を抱かせたに違いない。