日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【歴史003】フォックスのインド法案についての演説③

my日本からの転載
2012年06月26日
【第3回】フォックスのインド法案についての演説

わが紳士があれほど軽く述べたてるこれらの乱用がいかなる性質のものかを考察する前に、乱用されたこの勅許状にもとづく権利によって侵害された国土の地図を、諸君の脳裡に蘇らせることを許してほしい。

                   エドマンド・バーク

 

事実われわれがこの極めて遠隔な対象を曇った不正確な媒体を通して眺める限り、そのような深い同情が呼び覚まされる余地は最初から不可能だと懸念される。

                  エドマンド・バーク

 

 


【21】


先にも触れたが、バークはイギリス東インド会社の特権をひとまず容認する立場である。しかしこうも加える。「私はかくも広大な政治権力を一商事会社の手中に引き渡すことの不適切さを最初から先天的に強調する論者を、特に指弾するつもりはない。」

 

そして、東インド会社による不正は実際に多く非難されてきたこと、これからもより一層多くの非難が加えられるであろうことを指摘した上で、バーク自身はそれでも、今はイギリス東インド会社の特権を容認しない態度には踏み切らないと付け加える。どんなに理論的に正しいにしても、その原理だけに基いて既成の政治機構を破壊するのには手を貸したくない、躊躇いを覚えるという。

 

こういった感覚、このような論理は後のフランス革命を批判する上での感情的、論理的基盤の一つを構成するものであるとも思う。照らし合わせる対象として適切かどうか躊躇いを覚えるが、フランス革命支持者や擁護者にはこういった感覚、こういった論理への配慮がないに等しいのではないかとも個人的には思われる。

 

バークが何故このように考えるのかについて、彼は実生活の経験から得られた一つの結論として、こういった状況に際してどのような態度をとるべきかについて何一つ明確な結論を導き出すことができないと表現する。

 

バークは彼の交友関係の中から、大政治家の気概や能力をもった商人もいれば、行商人風情の見識と品位しか持ち合わせていない政治家もいるということを前置きした上で、どんな人間が統治の職能に全く不適格なのかという問題を提出する。それは「ただ一つ低劣極まる党争と陰謀を好む品性だけ」であるというのが彼の答えである。

 

このような品性の政治家は何時の世にもいるものだと思いもするが、私がもっとも馴染み深い、愛おしい国の政治家連中の品性と言えば、この種の品性ではなかっただろうかと落胆したくなるが、それはともかくバークはイギリス東インド会社を糾弾する勢力のなかにこの種の品性をもった輩が潜んでいるであろうと推察し、示唆しているのだろうと私は思う。

 

【22】


このことを踏まえた上で、実際にどのような場合において東インド会社の運用を彼らの手から取り上げるべきか、その条件を列挙する。

 

①この乱用によって損なわれる対象が大きく重々しいこと。
②この重大な対象を害する乱用が甚だしいこと。
③それは偶発的ならぬ恒常的な乱用であること。
④それはこの組織が現在ある状況においては全く救済不可能なこと。

 

これらの条件が満たされた場合でなければならないとバークは指摘する。

 

何故なのか。バークの同僚の議員が「東インド会社には乱用が見られる」と述べたことを引き合いにだして次のような例をあげる。もしそうならば、この法案の提出者の構想も、彼の博学な友人の構想も、どれもこれも押並べてすべてが多少なりとも乱用が存在するだろう。もしそうならばすべては不必要ではないかと考えうる。つまり単に乱用があるという科白はまったく空虚であると彼は考える。

 

バークは単に乱用という言葉を用いて指弾するのではなく、具体的にどのような状況であるのかをまず考えなければならず、その上でそれが指弾すべき程度のものなのか否かを判断しなければならないという立場なのだと思う。

 

次の表現は面白い。

 

わが紳士があれほど軽く述べたてるこれらの乱用がいかなる性質のものかを考察する前に、乱用されたこの勅許状にもとづく権利によって侵害された国土の地図を、諸君の脳裡に蘇らせることを許してほしい。


具体的にどのような乱用があるのか頭の中で仮想的なシミュレーションをすることを促しているともとれる。このシミュレーションした結果、この法案が正当なものであるのかどうか判断できるだろうと考えるのである。これをPCが存在しない時代の脳内PowerPointなどとは考えるべきではないと思う。具体的な状況をイメージするということについての深い示唆を与えるものであると私には思える。

 

【23】~【27】


以下、バークは具体的にインドの地理的な情報とそれに伴う具体的な状況を他の地域と比較しつつ広範囲にかつ詳細に表現する。簡単に表現するならば、イギリス東インド会社の支配権はどこからどこまでで、この地域にはこういった民族がいて、その面積はヨーロッパのどこどこの地域と同じくらいで、資本はどのくらいの規模なのか、宗教はどんな感じなのか、藩侯や太守とはヨーロッパにおけるなにに位置するなどと連々と表現していく。

 

【28】


インドにおいて習俗、宗教、伝統的生活スタイルは実に多種多様であり、そうであるが故にインドにおける対処はこの上なく微妙で危ういものであるというのに、イギリス東インド会社がインドを非常に深刻な状況に陥るまでに無惨に取り扱ってきたこと、そして改革者がそれを見過ごしてきたことをバークは嘆いている。

 

【29】


バークはムガル帝国が支配するインドをドイツ地域と比較して表現するのだが、それは厳密な類似性を指摘したいのではなく、インドを多少なりとも議員の知性と感情に訴えるような姿で描きたいためだという。

 

事実われわれがこの極めて遠隔な対象を曇った不正確な媒体を通して眺める限り、そのような深い同情が呼び覚まされる余地は最初から不可能だと懸念される。

 

自分の身の回りにある出来事、自分に直接的に関係する出来事でなければ深い同情を抱いたり、そのことについて考えたりはしないというのはまさしく人間の本性であろう。

 

インドについては全くイギリス議会と関係のないことではないが、どうしてもヨーロッパ諸地域と比較しても関心が薄くなりかねないだろうというのは事実であろう。こういった現実を前に、バークが注意を喚起していることに対して、私は評価せずにはいられない。

 

【30】


バークはイギリス東インド会社に対する勅許状を見直すべきかどうかは、偉大なるインド地域に対して途方もなく残虐であったか否かで見極めるべきだろうと考える。
これを次の分類によって詳細を見ていく必要があるだろうとバークは考える。

 

①政治的行動


ⅰ対外的行動


近隣の独立的な権力や国家もしくは最近までそうであったものとの間の彼らの連合的外交的な権能にもとづく彼らの行動


ⅱ内部活動


会社の直接的支配下にある国土、もしくは名目上は土着の首長の統治のもので通常の隷従以上の遥かに劣悪かつ悲惨な状況に置かれた地域に対する彼らの行動


②通商上の行動