【政治思想002】エドマンド・バークとヴィトゲンシュタイン
my日本からの転載
2011年06月09日
バークに関するメモ書き
何らか新しい体制が組み立ての単純さを目標としたり誇ったりするのを耳にする時私は、躊躇せず、その制作者たちは仕事に著しく無知なのか、または完全に義務怠慢なのだろうかと決めることにしています。
植民地との和解決議の提案についての演説(1775・3・22)
【背景】
フレンチ・インディアン戦争(1754 - 1763)→財政危機
1764年 砂糖法
1765年 印紙法
1767年 タウンゼンド諸法――植民地課税
1770年 タウンゼンド関税撤廃
1773年 茶法――東インド会社の茶が安く植民地に流入
1773年12月 ボストン茶会事件
1774年 イギリス議会が懲罰的な立法措置
【宥和】
チャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)(ウィッグ党)
ベンジャミン・フランクリン
【強硬】
国王ジョージ3世
バークが「植民地との和解決議の提案についての演説」がなされた時というのはこの演説の中から、
属州である
植民地である
に対して、
①イギリス本国、アイルランド、西インドのブリテン諸島との間の通商交易を制限
②ニューファウンドランドの浅瀬その他の場所での漁業活動を或る条件と制約のもと禁止
する法案が上院から差し戻されるというまさにそういった只中であったことがうかがえる。
ウィッグ党に所属しているバークはこの法案が差し戻されたことに対して「この幸先のよい出来事に喜びを禁じえない」と喜んでいることからもうかがえるようにアメリカに対するイギリス本国が行っている一連の政策には快く思っていなかったようだ。
バークはこの法案に対して「アメリカの貿易と補給に宣告を下したはずのあの重大な刑罰法案」と表現し、「もう一度われわれの審議能力を試す機会を得たこと」を喜んでいる。
重ねて「その全体を最初から振り返ってもう一度並々ならぬ注意力と冷静な気持ちでこの主題を再検討する巡り合わせになった」と表現した。
この「並々ならぬ注意力と冷静な気持ちで」という表現はあのフランス革命期に書かれた『省察』の中からもほぼ同じような表現を見てとれる。
フランス革命を痛烈に批判したこの著作の最後にこのように表現している。
私は、長い間の観察と多大の公正さ以外には、私の意見としてお奨めできるものはまず持っていません。
この言葉は単に謙遜とだけとるべきだとは思わない。つまりこの命題は裏を返せば、
何らか新しい体制が組み立ての単純さを目標としたり誇ったりするのを耳にする時私は、躊躇せず、その制作者たちは仕事に著しく無知なのか、または完全に義務怠慢なのだろうかと決めることにしています。
と同著作で述べているように、一つの確固とした判断の材料、判断の尺度なのであると私は思う。
私がこのように表現する場合、ヴィトゲンシュタインの次の言葉も考慮に入れている。つまり、
科学的探究の論理の一部として、事実上疑いの対象とされないものがすなわち確実なものである、ということがあるのだ。
ただしこれは、われわれはすべてを探究することはできない、したがって単なる想定で満足せざるをえないという意味ではない。われわれがドアを開けようと欲する以上、蝶番は固定されていなければならないのだ。
というものだ。ここでいう蝶番は何かといえば、「並々ならぬ注意力」を結集した「長い間の観察と多大の公正さ」であり、ヴィトゲンシュタインの言葉を借りれば、
私の世界像は、私がその正しさを納得したから私のものになったわけではない。私が現にその正しさを確信しているという理由で、それが私の世界像であるわけでもない。
これは伝統として受けついだ背景であり、私が真と偽を区別するのもこれに拠ってのことなのだ。
と表現するつまり「主観」である。