【思想・哲学010】ハンナ・アレントとギルバート・ライルの意志論
my日本からの転載
2011年06月13日
資料:ハンナ・アレントの「意志論」内のライル
yahooブログからの転載
明らかに、ライルは、彼の偉大な先達については知らないままに、「「意志」という……一つの能力が存在し、それゆえ、意志行為として特徴づけられる過程や機能が生ずるという教説」に対する反駁を企てている。
ハンナ・アーレント 『精神の生活 下 第二部 意志』
ハンナ・アレントという名前を皆さんは聞いたことがあるでしょうか?もし貴方がハンナ・アレントを知っているとしたならば、恐らく真っ先に彼女の著作が『全体主義の起源』であることを挙げるかもしれません。
あるいは『人間の条件』や『革命について』を挙げるのかもしれません。
私はそれらの著作には今のところあたっていません。
また彼女に関する資料にもほとんど当たっていません。ハンナ・アレントについては非常にぼやけたイメージしかないというのが正直な所です。
ここにおける主題は基本的に「意志」であり、その路線からハンナ・アレントの考え方を見ることにします。
少なくともギルバート・ライルとハンナ・アレントが結びつくというのは非常に考えにくいかもしれませんが、資料といて、ハンナ・アレントがライルの「意志論」に触れているものがあります。
私はこの接点に正直驚き、同時に嬉しく思ったというのは事実です。それは次のような言葉によって始まります。
「意志」に関する一切の討論が直面している最大の困難は、次の単純な事実なのである。
すなわち、意志ほど、一連の卓越した哲学者によってその存在さえが常に疑われ、また否定されてきた精神の能力はない、ということである。
その最近の哲学者は、ギルバート・ライルであって、彼によると、意志は、一つの「人工的概念」であり、この概念は、この世の何者にも照応せず、それによって、非常に多くの形而上学的誤謬と同じような無益な難問が生みだされるのである。
明らかに、ライルは、彼の偉大な先達については知らないままに、「「意志」という……一つの能力が存在し、それゆえ、意志行為として特徴づけられる過程や機能が生ずるという教説」に対する反駁を企てている。
ライルが捉えたところでは、「プラトンとアリストテレスは、魂の本性と行為の起源について精緻な議論をしばしばしたが、そこでも「意志行為」についてはまったく述べなかったのだが」、それは、彼らが「[後世の]特殊な仮定」(それは発見されたというのではなく、ある悪霊の攻撃の要請から受け入れられたのである)を知らなかったからである。
ハンナ・アーレント 『精神の生活 下 第二部 意志』
ここでハンナ・アレントがいう悪霊の攻撃の要請というのが何を指しているのか、残念ながら明確には私には解りません。
その明確な解答が見つかるかどうかは解りませんが、今のところ「矛盾律」から逃れることのできない「思考」と関係しているのだろうか?と推測しているといった程度です。
私はライルはじめ多くの人々と共に、この現象とこの現象に結びついている一切の問題が古代ギリシアでは知られていなかったという点に賛成する。
だからこそ、私はライルが拒否することを受けいれなければならない。
すなわち、意志の能力が実際に、「発見され」たのであって、時代が特定できるということである。
要するに、私は、意志を歴史的に分析することになろうが、それはそれでまた難しいことである。
ハンナ・アーレント 『精神の生活 下 第二部 意志』
「意志を歴史的に分析する」という作業に向かうことを可能にするヨーロッパ文化圏の特殊性にはやはり驚かされます。
どうでもよいことと言ってしまえばそれまでですが、全体を通して眺めて見ても、ハンナ・アレントの文体から感じるキリスト的な香りにはどうしても馴染めません。
私が行いたいことの一つにあるのは、哲学的考察を行う上でのこのキリスト教的な香りを取り除くことだときっぱりと宣言しておきましょう。