日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【政治思想001】戯れとしての自称保守派からの意見陳述

 

 2010年02月28日
戯言としての所謂右翼からの意見陳述
mixiからの転載

 

本来、古い価値観と向き合う人々というのはあの優しくて厳しい年寄り連中のような笑いを見せるものです。したがって私はそういった笑い顔を持ち合わせていない所謂保守派のことを古い価値観と向き合う人々とは認めておりません。

 

彼らがどんなに年を取っていても、またどんなに人生において何らかの成功をしていようとも、彼らに対してはあなた方と同じように、憂さ晴らしとしてという側面もあるのでしょうけれど、反発しないわけにはいかないということを一応認めておきましょう。

 

 

目次

 

 

Thomas Bergersen - Rada

 

はじめに


はじめに一言だけ言いますが、ここに書かれた「あなた方」とは決してあなたのことを指すわけではありません。

 

また「あなた方」とは自分のことを指し示さないとも言いません。

 

またまったく一面的な文章で、自分でも十分に反論が思いつくものであるという点も理解した上で、もし興味がありましたら読んでみてください。まったく下らない戯言に過ぎないということは言っておきます。

 

保守派から進歩派への提言


このたびは、私の愚かしい、そしてまた如何様にでも反論可能な私の下らない意見陳述に目を通す気構えを持っていただき有り難く思っております。

 

私はこの意見陳述が極めて愚かしいものだと思っておりますので一切読んでいただかなくとも一向に構わない訳です。


私は政治的にも社会的にも保守派を自認する者であります。

 

従ってあなた方進歩的な知識人に右翼と呼ばれる者でもあるのでしょう。しかし、あなた方は私を十分に理解していないばかりか、理解しようともしていないように思います。

 

そのことについて一々目くじらを立てる気もありません。

 

あなた方は膨大な知識の中で遊び、知識を尊んでおられることは十分承知しております。また、あなた方が既成の秩序に対して相当の苛立ちを隠すことができないということも私としては十分理解しているつもりです。


不完全性と保守派

 

私は論理の面においては決して旧来の論理に甘んじようとは思っておりません。

 

しかしながら、私は私自身の怠惰と私自身の無能によって様々な論理を理解することができないと思っておりますし、また私の知りえないことをあなた方が十分に研究されているということも私としては理解しているつもりです。

 

そういったことから私はあなた方から右翼という汚名を着せられたとしても腹を立てるだけの理由がない訳です。


古いということと新しいということ


そういったことを理解しながらも、私はあなた方と決して相容れない立場にいます。私はあなた方が既に古くから続いている価値観が単に古いからという理由によってその価値観を見下しているとは思っておりません。

 

あなた方はそれとは異なる理由によって古い価値観に近づけないということを私は知っています。そしてそれら別の理由によって古い価値観に近づけないために古い価値観を吟味することができないのだろうというのが私の最近の見解なのです。


そのことはひとまず置いておきましょう。それとは別に指摘したいことは、あなた方がまったく私と同じように、しかしながら私とは別の形態をとって、嫌悪されてしかるべきあの古い価値観に見られるあの狭隘で醜悪、そしてまた臆病な精神に見事に浸かっているということです。


恐ろしいことに、あなた方はそのことを狭隘で醜悪、そして臆病なことだとは決して公言することはありません。いいや、内心ではそのことに薄々気づいていることでしょう。

 

私と致しましても決して自分のその嫌悪してしかるべき自分の精神性を完璧に認めきっているとは思っておりません。

 

私はあなた方の立場に立って見るとここで反論したいことの幾つかを想定することが出来ますが、これは戯言としての意見陳述ですのでその反論についての返答は別の機会に譲ることにしましょう。


自嘲を含めた美辞麗句への態度


あなた方の美辞麗句は恐るべき醜態なのだと、私は自分のことを嘲笑うように、あなた方に優しく、そして悩ましく笑いかけましょう。

 

本来、古い価値観と向き合う人々というのはあの優しくて厳しい年寄り連中のような笑いを見せるものです。したがって私はそういった笑い顔を持ち合わせていない所謂保守派のことを古い価値観と向き合う人々とは認めておりません。

 

彼らがどんなに年を取っていても、またどんなに人生において何らかの成功をしていようとも、彼らに対してはあなた方と同じように、憂さ晴らしとしてという側面もあるのでしょうけれど、反発しないわけにはいかないということを一応認めておきましょう。


さてここまで私の主張を読んでいただいて私の文章が決して論理的に隙がないとは全く言えないということは十分理解していただいたと思います。

 

私自身がそのことを理解しているということをあなた方に念のため言っておかなければなりません。私が論理的に隙のない文章を書こうなどと思い上がっていないということを私自身が認めざるを得ない立場である、そのことを示す必要があります。

 

そういった理由から、私に論理的に隙のない文章を要求することができないのと同じように、あなた方に対しても要求することが出来ないということも同時に示しておくことにしましょう。


まず、私が指摘したいことの一つにあなた方の大いなる誤解があります。それは古い価値観が固定的で全体主義的なものであるというものです。

 

しかし私に言わせれば、あなた方進歩的知識人のほうがよほどに頑迷な価値観に縛られているのではないかと思うのですが如何でしょう。

 

そもそも古い価値観という固定的な命題はどこにも存在しません。固定的な命題のほとんどは抽象的で曖昧な形が取られており、そのほとんどが言い得ないことを諦めて言ってしまったような形を取っています。

 

保守的な人間は基本的にはあなた方進歩的知識人よりもよほどに相対主義的で程度の差こそあってもニヒリストです。


保守的な人間はあなた方のような華やかな栄光よりも、ささやかな、言い方を変えるとあなた方にとっての下らない幸福を選びます。保守的な人間はあなた方よりもずっと相対主義的なので、あなた方が保守的な人間を認めるよりもずっと、あなた方を認めています。

 

その華やかな栄光を認めない訳がありません。そしてまたそれと同時に相対主義的ですので、その華やかな栄光に虚飾もみてとります。下らないささやかな幸福よりも華やかな栄光の方がよほどに上辺だけの代物なのだと見做すわけです。


保守的な人間のことを決して夢のない人々などと思わないことです。彼らの夢はあなた方進歩的知識人のみる夢の形態とは全くことなります。

 

あなた方があなた方であるという夢と、彼らが彼らであるという夢とは全く違うのです。これについては別の場で恐らく解りにくく醸し出して表現してきたと思うし、これからも解りにくく醸し出して表現していこうと思うのでこれについてはこれ以上述べることはやめましょう。

 

いいえ、一言だけわかりにくく醸し出すとしたならば、あなた方進歩的知識人とは境界線設定の形態が異なるのです。


創造的破壊への懐疑 オークショットの思想


下らない意見陳述をいつまでもだらだらと続けていてもしょうがありませんので最後に一言だけ言わせて貰うことに致しましょう。

 

あるイギリスの政治哲学者が言うには、何かを変えるとき、既にあるものが失われるのは確実ですが、期待しているものが確実に得られるとは言えないということです。

 

さて、あなた方が何かを良い方に導こうとしているのなら私は陰ながら暖かいとも冷たいとも捉えかねられない微笑とともに声援を送ることに致しましょう。

 

ただ、大事なものを失わないようにくれぐれも注意してください。あなた方が変えたためにあなた方がその害を被るだけなら自業自得という一言で片付けられるのですが、世の中そういうものではないと思いますので、くれぐれもお願いいたします。


最後に


このたびは、いつもの日記とはタイプの異なる感じの抽象的な文章を書きました。もともとこういった文体は厳密さに欠けるので好きではありませんが、本来は文章はこういった退屈な散文であるべきだと思っています。

 

細かい所までつめて書けないという欠点こそあれ(いいや、どんなに緻密に論理に分け入っても結局は同じくらいの水準に終わってしまうのだが)、できるだけ専門用語を排除した誰にでも読めるこういった文章の方が理想的なのだろうと思います。

 

難しいことを書いているつもりはなく、解らない所があるとすれば私に非があると見做してください。論理的に欠点のあることは自分自身十分に自覚しているつもりです。

 

また個人的な偏見などもあるということも理解しています。偏見を隠してそのままにしてしまうよりも曝け出した方がいいと思うという点と、多少は挑発や扇動といった要素でもあるという点などを加味して読んでいただけますと有りがたいです。

 

またこの文章はある日記に書き込んでいただいたコメントをきっかけとしてはいますが、どこかで書きたかったことでもありますし、これからも書かなければならないと思っていることですので(自己分析も含めて)、特定の人に対する批判というものでは決してありませんので、気を悪くしないでください。