日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【政治思想007】保守派と全体主義――正しさを巡って

my日本からの転載

2013年03月06日
保守と正しさ

保守派に可能性があるのはこの大枠を規定しないところにあるのだが、これを規定しようとする保守派もいるというのは確かにいえるのである。保守派に全体主義者がいるのか、あるいは全体主義者であり保守派ではないのかについては、その定義に基づくのであって、私はそのどちらであるかははっきりとはいうつもりはない。

目次

 

 

平衡感覚とバーク主義

 

ここでは長々と書く気はないのだけれど、かつてバークが善と善、善と悪、悪と悪の中での加減乗除というものを指摘していたと思うのだが、つまりは計算である。計算といっても数学的なものではなく、社会的な、経済的な、政治的な、歴史的な事柄から私的事柄までにいたる事象に対して、心理や言語、生理、科学などといった知識やあるいはそれに基づく経験といったものまで含めた論理的な思考というものなのだろうと思う。

 

理想主義に捉われない保守派の技巧

 

何か問題が起こったとき、あるいは何かを行うときのこの種の計算とは「正しさ」を求めるもというよりは「巧さ」に近いものではないかと思う。

 

この種の「巧さ」はその彼が計算している論理が解らなければ、その「巧さ」も見えてこないし、時に滑稽なものにも映りかねない。場合によっては確かに滑稽でもあるのだろう。

 

全体主義の限定的かつ無矛盾なまたは一義的な前提下での言論の形成

 

全体主義に見られる思考というのは、思考の方法や経路などの大枠が限定されている場合が多い。基本的には誰かの著作群に見られる論理が全てなのである。更にその限定された大枠でしか論理的思考が繰広げられないばかりか、そのようなものに時間を費やすがために、その大枠から外れた思考については稚拙なものにならざるをえないだろう。

 

保守派は全体主義者足りえるのかまたは全体主義者は保守派足りえるのか

 

保守派に可能性があるのはこの大枠を規定しないところにあるのだが、これを規定しようとする保守派もいるというのは確かにいえるのである。保守派に全体主義者がいるのか、あるいは全体主義者であり保守派ではないのかについては、その定義に基づくのであって、私はそのどちらであるかははっきりとはいうつもりはない。

 

自由主義全体主義の可能性

 

またあえて言うが、無自覚的に全体主義的な思考に陥る可能性は、自由な思考を持つものにも無縁ではないというのはいえるだろう。

 

自由に思考する者とは様々な条件分岐的思考の中からより良い可能性を模索するのであって、繰り返すがそれは「正しさ」を求めるという要素も確かにないとは言わないが、それよりもむしろ「巧さ」、つまり技巧に近い。

 

保守派は技巧を磨けるのか

 

この技巧を磨くのが保守派の作業であり、それには当然批判が付きまとうし、反省要件も付きまとうが、批判要素も反省材料もない全体主義的な思考の方がずっと愚かしいものと断定していいと思う。

 

この種の全体主義的な思考に捉われた人間は、世間には山のようにいるし、ある意味でその種の要素はいかなる人間にもつきまとう。そういった中で何をなすかというのは極めて大変な作業なのであるが、まあ、気長に延々と自由に思考すればいいだけさと構えればいいのではないかとも思う。

 

以下同日記へのコメント

 

1: H


正直、ある意味節操無いくらいでいいと思うんだ。と私はマジレスしてみる。
どうも憲法論議の方が宗教戦争と化してきてどうにもならない状態なのでね。
私は敢えて距離を置いてみようと思う。

まぁ、ゆっくりと別件を片づけてきますかね。

 

2: 初瀬蒼嗣 


>>1 Hさん
無節操ですか 笑。まあ、そう考えてるだろうなとは思ってました 笑。
憲法の考え方は、たぶん私は結構な異端派なので、今のところ参戦しようがないのですが 笑、まあ、中でかき回すのもいいけど、外で眺めるのも疲れなくていいです 笑。

というかあんまり変なの連れてこないでくださいね 笑。

 

 

3: K


今日は。

基本的に、保守主義は、帰謬論証(~が間違っていることの論証)の形で出現するもの、つまり、右翼や左翼の全体主義の側から、「~は絶対に正しい」とする強い主張が提示されて、それが世間に強くアピールして、社会が危うい方向へと誘導されそうになったときに、「~は間違っている」とストップをかける形で出現するものと考えています。
バーク然りハイエク然り)

保守主義の反定立性、他者被規定性(非自己規定性)

 

4: K


「巧さ」とは、art(技巧)という意味、つまり、保守主義は確立された一定の思想体系ではなく、いわば政治や経済や社会の諸問題を扱ううえでの洗練されたartの類いであろう、という意味と解しました。

 

5: 初瀬蒼嗣


>>4Kさん

そうですね。ただ、現状としまして今の保守派が「洗練されたart」(技巧)を有しているのかどうかという点については常に疑問符は投げかけなければならないところはありそうですね。残念ながら。当然、私も含めてですが 笑。

 

6: K


>>5 初瀬蒼嗣さん

自分は保守だと思っている全体主義の右翼が多いってことだと思っています。

多分そういう性向の人は、戦前の日本では大アジア主義の革新右翼をやっていて、戦後の日本では急進派左翼をやっていたんじゃないかな。

(左右等価気分説・・・右翼も左翼も、反政府とか反権力とかの反抗的気分を味わいたいだけで本質は同じだ、とする説)

因みに、私は2年ほど前に「保守主義とは何か」について結構真面目に検討して、一般の「保守」を自認する方々にもなるべく分かり易いようにと、下のまとめページを作ったんですが、あまりmy日本で宣伝するのも何だし・・・と思って放置しています。

誰か有意義な意見など貰えれば、喜んで内容修正・拡充するつもりはあるんですが。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1315.html

<理論派保守を目指そう!トピック> 保守主義とは何か①~保守主義の概念定義
<理論派保守を目指そう!トピック> 保守主義とは何か②~保守主義と隣接・類似する思想+日本の保守主義

 

7: 初瀬蒼嗣 


>>6 Kさん
なるほど。一点だけ気になる点を挙げるとすれば、全ての著作を当たったわけではありませんのではっきりとは解りませんが、当時保守主義者という言葉があったかどうか知りませんがエドマンド・バークが自らを保守主義者とは名乗らなかった点と、ハイエクが自らを保守主義者ではなくオールド・ウィッグと呼ばれることを好んだという事については気になりますね。正確な記憶ではありませんが、カール・ポパーは合理主義者は伝統主義者のバークの批判に的確な批判を加えていないという指摘があり、ここでバークは伝統主義者という位置づけになっていたような気がします。

正直、戦前の大アジア主義については知識が乏しくてなんともいえないところがありますが、この点とバークによるイギリス東インド会社がインドに介入していった時の批判を比較してみるというのも面白い作業のような気がします。

なかなか時間がなくてこの辺りの言及は私には難しいですね 笑。

 

8: K


>>7 初瀬蒼嗣さん

バークは、当時の保守派だったトーリ党(王党派)ではなくホイッグ党自由主義政党)の議員でしたし、ハイエクバーク辺りを意識してか、「自分はオールド・ホイッグ」と書いていますね。

ただ、イギリス社会もどんどん近代化していき(トーリ的な保守主義は失われて以前のオールド・ホイッグが伝統保守の意味になり)、後世の人から見れば、

バーク→伝統保守(旧保守、社会的側面での保守主義
ハイエク→経済保守(新保守、経済的側面での保守主義=リベラル右派)

という今の保守の2大派閥になった、とおおばっさに考えていいと思っています。

アメリカの場合は、新・旧の保守がうまく連携が取れてる感じですが、日本は小泉改革以来、伝統保守と経済保守が互いに排斥しあって上手く連携できていない風に思っています。

 

9: 初瀬蒼嗣 


>>8 Kさん

>アメリカの場合は、新・旧の保守がうまく連携が取れてる感じですが、日本は小泉改革以来、伝統保守と経済保守が互いに排斥しあって上手く連携できていない風に思っています。

具体的に小泉改革の位置づけをどういった位置づけで見ればよいと考えていらっしゃるのでしょうか?

 

10: K


>>9 初瀬蒼嗣さん

小泉政権が、それまでの自民党政権よりも経済保守主義の方向性をより強めたので、綿貫氏や亀井氏あたりの伝統保守寄りの勢力が反発を強めて出て行った・・・みたいな構図で考えられるんじゃないかと。

私は小泉改革はどちらかというと支持してた方なんですが。

その後、第一次安倍政権でも、今の安倍政権でも、両保守の再融合の方向には向かっていると思うのですが。

 

11: H


現実の諸問題を勘案して、使えるものを片っぱしから使っていき、使えなかったらしがらみを駆使して雁字搦めにするのが安倍政権のやり方だろうね。

正直、皆が自分の信念を貫いているんだと思う。
現実がMMO風味になってるから、その結果は至って予測不可能だけど。

その一方、私は自らを「毒男」と定義し「保守」だと言わないようにしている。
己が無能であることを自覚するが故に、敢えて不真面目に努めているんだ。
無能な働き者は殺すしかないと昔から言われている通りに、ね。

 

12: 初瀬蒼嗣 


>>10 Kさん
なるほど。小泉氏と亀井氏ということで言いますと、国の借金についての考え方が正反対ですよね。借金が増えると増えるほどに更に対立の深みを増すのではないかということは言えないでしょうか?この溝は案外に深いのではないかと素人ながら思いもします。

 

13: 初瀬蒼嗣 


>>11 Hさん
割と自らを保守主義者とか保守とか名乗るのを嫌う人はいますね。思いのほか「保守」という概念の意味合いが強すぎる部分と曖昧な部分があるためだと思います。こういった人々も保守と呼ぶという考え方もあるでしょうし、言ってしまえば保守主義者と名乗っている人々も保守とは呼べないという考え方もあるでしょうし、これは言語使用の問題でもあると思いますね。

「無能な働き者は殺すしかない」ですか・・・
申し訳ありませんが、無能なのでその言葉知りません 笑。

 

14: K


>>12 初瀬蒼嗣さん

亀井氏は伝統保守の例として不適当でした。
平沼氏に差し替えて下さい。

土建政治保守主義とは何の関係もないと思います(オポチュ二ズム=中間派に分類するのが妥当かと)

 

15: KF


はじめまして。非常に参考になりました。

リバタリアンとしては、自称保守とする人々が無自覚ながら全体主義的思想に共鳴する点に疑問を感じざるを得ません。西洋の保守思想然り、日本の保守思想家(福田恆存小林秀雄松原正など)は基本的に方法論的個人主義に立脚していた筈です。それこそ、左翼と呼ばれていた人々こそが全体主義に賛同的だったと思います。

最近では国家主義保守主義が=の関係で結ばれつつあるのが非常に危険な現象だと思います。

 

16: H


>>15 KFさん
その問題の根底には貧困が蔓延しているのがあると私は思いますね。
全体主義は貧困から生まれ貧困を広げる考え方ですから。

故に、こういう結論に至り絶望する人が出るのです。
「誰かを祝福するなら、他の誰かを呪わずにはいられない」
これを悟る人は、ほぼ確実に自分を呪っています。
公言される前にさっと抱き留めるのが理想ですが、私のような毒男には無理な話です。
一緒に死ぬ覚悟があれば別ですが。

 

17: 初瀬蒼嗣 


>>14 Kさん

土建政治というのは、大衆社会の中で良かれ悪しかれ自生的に発生してしまった部分はあると思います。土建政治は確かに土建業者へ金が流れますが、それと同時に土建業に限らず一般大衆の雇用の受け皿になっているというのは否定しがたい部分があるでしょう。

この部分をバッサリ切るというのも、もしかすると政治的決断としてありえるのかもしれませんが、高度大衆社会においては多くの混乱が発生するというのも否定しがたいような気がします。

 

18: 初瀬蒼嗣 


>>15 KFさん
こちらこそはじめまして。

そうですね。全体的にそういった傾向が最近は目につきますが、ただそれほど驚くべきことのようにも思わなかったりします。一つに東洋のある島国において、とはいっても世界的傾向でもあると思いますが、非常に言論が貧困であるというのは指摘していいと思います。つい最近までテレビを見て馬鹿笑いをし、ファッション雑誌をみてお洒落を決め込み、休日には様々なアトラクションを楽しんでいる国民といえるかどうかわかりませんが、そういった人々が日本を守らなければと急に思ったとしたら、まあそうなって当然でしょうと答えざるをえないですね。保守を自認する割には言葉遣いがお粗末なのではないかと皮肉も言いたくなります。まあ、この点は私もさほど変わらないレベルではありますが 笑。

 

19: KF


>>16 Hさん
リア充爆発しろ」って奴ですか。
「貧すれば鈍する」って諺は間違いでもなさそうですね。

 

20: K


>>17 初瀬蒼嗣さん

今晩は。
土建政治が一概に悪い・・・という価値判断を含んだ意見ではなく、政治的スタンスの分類としては「保守主義」ではなくオポチュニズム(便宜主義=右派でも左派でもない中間派)とすべきだろう、という話です。
書き方が紛らわしくて済みません。

 

21: 初瀬蒼嗣 


>>20 Kさん

経済については言及するほどの知識がありませんので、控えめに書くべきなのかもしれませんし、また未来がどのように転がっていくのかも私にはわかりませんが、将来的には日本政府の膨大な借金が、かなり悪い方に転がっていく可能性もあるだろうというのは思います。貨幣概念が将来的にどのように変化していくのかも解りませんのでなんともいえないところもありますが、この借金が増えていくことを危惧するというスタンスは全然理解できます。


将来、土建政治が極めて愚劣な政策であったと評価されることはあるかもしれません。まあ現時点でもそのように評価している人はかなりいますね。それとはまた別の意味で、というのは結果として起こった現象から見て愚劣な政策であったと評価される可能性はあるのかもしれないという意味では、もしかすると悪いのかもしれないということは私も理解しているつもりです。

 

22: H


>>19 KFさん
経済的にはそういう解釈でいいんだけど、実はもう一つの解釈がある。

「自虐に絶望する者を抱き留めることさえできれば、あるいは・・・」
「俺でも、いいのか?」「私でも、いいの?」

そう、見ているだけで壁を殴りたくなったり全身がむず痒くなったり味覚が甘く乱れたり猪木や修造やゴルベーザが脳内で叫んだりする件のアレだ。
この手のネタはひとたび考え出すと妄想が大暴走して頭がおかしくなるので、用法、用量を守って正しくお使いください。特にTPOはきちんと弁えること。

なお、物語の当事者になってしまった場合は潔く(完全世界)してください。
そうでないと新手の焦らしプレイ扱いされますから。