日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【政治運動002】行動する保守

my日本からの転載
2012年08月11日
行動する保守

 「行動する保守」は、彼らの解釈における行動しない保守派を「綺麗事保守」と命名して自己満足しているが、私はあえて「行動する保守」に対して「ヨゴレ保守」と皮肉を言いたいところである。ヨゴレというのはお笑い芸人などが使用しているが、まさにそんなものではないかと思う。汚れ役を買って出るならば一切の言い訳をすべきではないだろう。

目次

 

 

 

保守派の実践性と思弁性

 

私は保守派が実践に重きを置くことについては否定しない。むしろ実践は重視されるべきであると思っている。私の実践というのは不十分であろうというのはあくまでも認めなければならないだろう。しかし、実践とは別に考えることを否定することについてはこれを否定しなければならないと思っている。私の思考というのもこれも当然不十分であろうということも同時にこれを認めないわけにはいかない。

 

保守派の実践性欠如への批判としての「行動する保守」と彼らの自己懐疑の欠如

 

私は行動する保守に部分的に共感し、同情する思いもあるということを表明しながらも、実際に「行動する保守」を標榜する人たちを批判せざるをえないということも同時に表明しなければならないと思っている。

 

未熟な防衛機制・群衆心理の現れ

 

つい先日、在特会など複数の自称「行動する保守」が太極旗を模した旗に杭を刺し、踏みつけ、唾を吐き捨て、その旗をバラバラに切り裂いている動画を見たが、何を意図しているのか私にはわからないが、それでも何かを意図するという以上に、彼らが集団として高揚している様子を見るに、単に防衛機制が働いているようにしか見えないと言わざるをえない。そうすることによって単に団結心を固め、自己満足しているようにしか見えない。こんなものが保守であるというならば、私は一向に保守でなくともよい。しかし、こういったものは保守とは呼べないと私は思う。

 

行動する保守」が批判する「綺麗事保守」とそのアンチテーゼ

 

行動する保守」は、彼らの解釈における行動しない保守派を「綺麗事保守」と命名して自己満足しているが、私はあえて「行動する保守」に対して「ヨゴレ保守」と皮肉を言いたいところである。ヨゴレというのはお笑い芸人などが使用しているが、まさにそんなものではないかと思う。汚れ役を買って出るならば一切の言い訳をすべきではないだろう。

 

お笑い番組に支配されたテレビの影響を受けたものとしての保守

 

ヨゴレならヨゴレらしく嘲笑されることを恐るべきではないのではないかと思うのだが、彼ら「行動する保守」は人一倍嘲笑されることを嫌っているのである。そしてあろうことに自らに敬意を払えなどというのである。「綺麗事保守」ではない「ヨゴレ保守」としての自覚が足りないのではないかと皮肉を言いたいところである。

 

行動する保守という芸能

 

いいや、敬意を払えという表現そのものも一つジョークであり、一つの芸なのではないかと考えた場合、恐らくそうではないと思うが、もしそうならば、中々面白い連中であるとは思いはする。残念ながら恐らくそうではない以上、あまり関心できない連中と見定めるより仕方がない。

 

あまりこんなことも言いたくないが、彼らは生活保護に関する件において吉本興業の芸人を批判していたが、それに反して吉本興業がテレビなどで垂れ流しているヨゴレ芸、吉本興業にみられるような芸によってかなりの影響を受けているのではないかと言いたい気分ではある。彼らの行動のノリが私には吉本興業のそれに一致して見える。

 

狂人とは理性以外のあらゆるものを失ったものという箴言

 

彼らは彼らの論理に異常とも取れるほどの信頼を置き、その彼らの論理を正当なものと見定めて疑わない。

 

しかし私は自らの理性に絶対的な信頼をおいている人間を信じない。あるイギリス人、というのもギルバート・チェスタトンであるが、彼は「狂人とは理性を失ったものを言うのではない。理性以外のあらゆるものを失ったものをいうのだ。」と表現したが、概ね私はこの前提に従いたい。

 

かつての学生運動極左集団も自らの理性に重きをおいていたが、彼らが狂人に見えるのと同様に、とある国民が日の丸を燃やしている行動と同様に、私は彼らの行動にも同様の狂気を見出すということを言わざるをえない。