日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【倫理・道徳003】シー・シェパードとその支持者の倫理学を考える上での概念考察

my日本からの転載
2012年06月02日
「釣り」
mixiからの転載

目次

 

 

内容的にまだまだ書きはじめたばかりで、編集途中なのだが、一応、輪郭を少しだけ浮かび上がらせることができたので、転載してみます。論点はまだまだありますし、各項目も中途半端ですが、とりあえずということで。

 

「釣り」といっても魚を釣るんじゃない。クマです。ポールと愉快な仲間たちの、仲間たちの方を釣っています。というわけで、「釣り」の成果をちょっとだけ書こうと思うのである。ある意味で全くの戯れとして釣っています。

 

「釣り」の成果とは基本的にシー・シェパードの支持者がいったいどのような思想を背景に彼らをサポートしているのか、というものである。

 

①菜食主義【vegetarian、vegan

 

シー・シェパードの支持者を食べ物によって大別すると二種類のタイプに分かれる。またそのうちの一つは二つの概念によって区別される。ただし境界線は前者に較べて曖昧。

 

A ①肉も食う
B ②ヴェジタリアンvegetarian、③ヴィーガンvegan

 

個人的に②と③に関してはそれほど大きな違いは感じられず、割と支持者にはヴィーガンが多いようである。②と③は資料によって意味はマチマチであるが、簡単に言えば、ヴィーガンの方がより徹底的であり、純菜食主義者とも訳される。

 

ヴェジタリアンという概念に括られる人々は卵や乳製品を食べるのはありという人々も含まれる。場合によってはヴィーガンもヴェジタリアンの一種なのかもしれないが、②と③に関しては併記されることが多く、ヴィーガンにはその極端さを強調する意味合いが含まれているようである。

 

シーシェパードの支持者と対話する場合、彼がAとBのどちらであるかによって割と受け答え方が違ってくる。しかし、概ね、家畜はOKというのは共通している。

 

Bの奴らでさえも家畜OKらしい。これにも理由がある。一つにこれらの考え方の違いによってどの組織を支持するかが、変わってくるわけで、動物実験も駄目だという人間の場合、PETAという組織を支持し、他にも豚を殺すなという組織もある。

 

ある意味で内部分裂が完了しているのである。この辺りのボーダーラインの引き方は彼らのさじ加減と言ってもいいと思う。

 

②虐殺【slaughter】

 

この単語はよく出てくる。普通にkill for foodの意味でもあるようだが、kill in a cruel or violent way, typically in large number、日本語に訳すと大虐殺、大屠殺となるのだろうが、そういった意味を強調して彼らは使っている。

 

タイプAの奴らがこの単語を使うのは可笑しいだろと思っていたが、それには理由がある。

 

アメリカの動物学者テンプル・グランディンによって開発されたハグ・マシーンによってかなりあっさりと大人しく家畜が殺されていく様子をyoutubeで見ることができるが、これが彼らが家畜は別の根拠の一つである。

 

ただ、この場合、Kangarooの毒殺、射殺は正当化できない。動画は人によっては【グロ注意】の部類に入るかもしれないので貼りません。

 

ヴィーガン安楽死を成功させることができたら食べてもいいのか、とちょっとした挑発をした後に確認したところOKという回答をいただいた。

 

ただし、あくまでも恣意的なOKであろうと思う。

 

彼女の発明したハグ・マシーンは全面的に配備されているようでもなさそうで、「私は牧場を選んでいて、ちゃんとしたものを食べているんだ」と言っている。家畜の屠殺方法は国別で見てマチマチだと思う。

 

ちなみにインドネシアでの牛の屠殺の実態がオーストラリアによって暴露されているが、その凄惨さは明らかに見た目としても異なる。これに関してオーストラリアが経済制裁をしたようである。これは先程の動画以上に【グロ注意】である。

 

個人的には見た目はいいが、ハグ・マシーンによる安楽死は本当に安楽死なのかな?なんて思わなくもなかったりもするが、まあ安楽っぽくは見える。

 

ハグ・マシーンによる屠殺とインドネシアの屠殺を見た場合、確かに銛でクジラやイルカを殺すのは明らかにインドネシアのそれに近く見える。ただし、インドネシアの牛の屠殺と異なるのは、見た目も時間としても不十分すぎるが、短時間で殺すことを目的としている点は挙げられるだろう。

 

③1080

 

これは余談になるが、オーストラリアにおける、害獣駆除に関する話である。

 

④絶滅【endanger】

 

家畜は別という彼らの主張の別の根拠として、クジラやイルカは絶滅の危機にあるが家畜は絶滅しえないというのがある。

 

牛や豚は、効率良く繁殖させることに成功している。畜産業の技術はやはり、クジラ漁(調査捕鯨)やイルカ漁に較べて発達しやすいというのは否定出来ない。

 

科学的にクジラ、イルカの分母、総数は推測されているが、この辺りの数字の確実性は家畜とは比べることができないような不確かさがあると言えるだろう。

 

実際のところIWCやJWAは一応クジラ、イルカ総数を把握しているということになっているようで、その上で、その1%未満位を目安にクジラ漁(調査捕鯨)、イルカ漁をしているといえるのだろう。

 

将来的にはGPSのようなもので数が把握されるのではないかということも想像できるが、一先ず、徹底された管理下の上にはないというのは事実だろう。

 

どういうわけか絶滅を危惧する声こそあれ、この当たりの具体的な数字をあげて絶滅を危惧する声は少なく、科学的な前提に基づいての主張というよりは、実質的には感情的な主張のようにも思う。

 

クジラ漁とイルカ漁に関しては、それを行なっている国の絶対数が少ないことからも、今後過剰に絶滅に向かうとは考えにくいが、それとは別に、マグロやサメといった魚類に関して、今後、それを食べる人口が増えてきそうな感じがする。

 

特にblue fin tunaと呼ばれるマグロに関しては現在、全世界的に寿司を食べる文化が浸透してきているため、個人的な印象としてはそちらの方が危ないのではないかという感じもする。

 

冗談口に、寿司は日本人だけが食えばいいんだよ、なんて言いたい気分にもなるが、今後益々、世界的にマグロの漁獲量が増えそうに思う。今のうちに食いだめしとくか。

 

⑤水銀【mercury】

 

この歳になって「水銀」と「水星」が同じマーキュリーであることを知ったというのは自分で言うのもなんだが情けない。忘れていたんだ。そう、忘れていたんだよ。とりあえず、そう思うことにする。

 

イルカやクジラの肉に水銀が含まれているというのは、彼らがたまに使う主張である。映画"the Cove"の中でも登場しているためにそのインパクトは大きいようで、特にその桁外れに高いイルカ肉の水銀含有量はイルカ漁批判の論理的根拠の一つとなっている。

 

特にこの水銀中毒は水俣病と比較されることが多く、日本政府は国民を死に追いやろうとしているというのが彼らの主張である。

 

また、彼らが水銀の含有量を用いて批判する場合の出典はthe Cove以外の情報は乏しく、実質的にその水銀含有量を把握しているのは日本の公的機関ばかりであるというのが実態であろう。

 

桁外れに高い水銀含有量の資料についての検討する前に、指摘したい点は、その数字以外の日本の公的機関が発表しているイルカ肉の水銀含有量は、暫定的安全基準値を上回っているということである。

 

これについて、暫定的安全基準値を上回ったからどうだ、という対応は日本の公的機関からは何も語られておらず、単にそれでも安全だと繰り返している。この安全基準値の扱いというのは、それぞれの組織や機関によって対応に差があるというのは感じる。

 

例えば、ある水源において、水の中に含まれるホルムアルデヒドの含有量が基準値を今年上回ったが、彼らはその水源からの水の供給をやめている。

 

ところが一般的に社会において、安全基準をコントロールできなくなり、かつそれでもそれが必要と判断された場合、それでもいいんだといった流れになるようである。あくまでも安全基準値が守られるためには、その管理が上手くできる時だけのようである。

 

イルカ肉に含まれる水銀の数値については具体的にその数値を挙げて考察する必要があり、その調査の実態なども示す必要があるだろう。

 

太地町における水銀の健康被害なども含めて具体的に調査した機関として、最も高度に調査している機関は国立水俣病総合研究センターであろう。

 

残念ながらJWA日本捕鯨協会による科学的な調査に関する報告は、私が見ても不十分に思える。資料に関しても古く、逐次更新されていない。

 

文体に関しても安心と安全が謳い文句となっており、科学的というよりも、保身的な回答という印象すら感じられる。

 

こういったタイプの公的機関は日本国内に溢れかえっているのであろうと推測する時、妙な虚しさを感じるというのも否定しがたい。最低限の説明責任は果たすべきだろう。

 

南極条約【The Antarctic Treaty 1959】

 

私たち日本人がオーストラリアと聞くと、普通あのカンガルーやコアラがいる大陸にある国であると想像するが、これは普遍的な捉え方ではない。

 

南極の一部もオーストラリアなのである、という考え方が存在し、実質的にそれは南極条約において否定されていない。

 

そして面白い話だが、それを否定する考え方も南極条約において否定されていないのである。

 

そんなことを言われた日には、今から日本も南極を自分の国の一部にしちゃおうぜ、と冗談で言いたくなるのだが、これは否定されている。

 

⑦海のシェパード【SEA Shepherd】