日々思うこと

政治思想・哲学を中心に考察していきたいと思います。

【断片006】心象についてのメモ書き

my日本からの転載
2011年07月01日
メモ

 

象徴記号A→対象としての心象B
       →対象としての心象C
       →対象としての心象D
       →対象としての心象E

【モデル】

 

BはAの対象のバージョンである

 

【モデル】

 

B~EはAの「心象可能性」である

 

心象H→対象としての象徴記号I
    →対象としての象徴記号J
    →対象としての象徴記号K
    →対象としての象徴記号L

 

【モデル】

 

IはHの象徴記号のバージョンである

 

【モデル】

 

I~LをHの「象徴可能性」である

具体的に様々な象徴記号、ないしは心象を当てはめた場合

 

例えば、「客観性」という象徴記号の「心象」可能性は何か?という問題が浮かび上がる。

 

この「客観性」という言葉から生じえる「心象」可能性がいかなるものであるのか、

 

私たちが厳密にこの問題を考えた場合、その「心象」を「描写」しなければならない。

 

「心象」を「描写」する場合、その「描写」は「心象」のモデル可能性の一つである。

 

「象徴記号に対して、一つの心象のみが対応する」などという前提は否定すべきである。

 

これとは逆に、

 

「心象に対して、一つの象徴記号のみが対応する」などという前提も否定されるべきである。

 

【モデル】


モデル化には二種類方法がある。一つは「論述」によるモデル化、もう一つは「画像」や「映像」によるモデル化がある。

 

「論述」におけるモデル化には最低限の「ルール」が必要であり、それには「文法」と「定義」が一応の役割が与えられている。

 

「モデル」は便宜上使用されるのであり、「モデル」を「心象」であると見做したり、「モデル」を「真理」と見做すことはできない。

 

われわれは「心象」を提示できない。