【倫理・道徳002】道徳と理性
my日本からの転載
2011年06月20日
道徳と理性
小さな「実践」を細心の注意を払って行う者は、決して「既存」の「道徳」に縛られすぎてはいけない。
「道徳」は理性によってつくられたものではない。この点は合意できる。しかし、私たちは「道徳」を観察することができる。
「道徳」の様々な要素を抽出し、それらの構造の転換について思いめぐらせることもまたできる。
「道徳」の細部に対する細かな改変の「実験」もおよそ兼ねた「実践」というのは「個人」において可能である。
もし、巧く行かなければその「実践」から身を引き、巧く行ったのなら、尚更、それが本当に巧く行っていると言えるのかを省察すべきである。
保守派が本来もっとも恐れるのは現にある体制を「理念」や「理想」に適合させようと大規模な再編を目論み、現にある体制の最も良質なものを台無しにしてしまうことである。
「進歩的知識人」はこういった出来もしないことを「他者」に押し付け、自分は「道徳」的な意味での怠慢を続けるのである。
ヒュームやハイエクに見られる、「道徳」は理性によってつくられたものではない、という非難はおよそこう言った人々に対して浴びせられてきた言葉であり、小さな「実践」を細心の注意を払って行う者は、決して「既存」の「道徳」に縛られすぎてはいけない。